もふもふ大好き 怪盗仏陀

のんびりと更新します。

80年代って、将来のことは微塵も考えなった



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84年から88年、当時 私は東京のライヴ会場に入り浸っていました。 ライヴ、映画情報雑誌ピアで調べ、将来 絶対くるだろうミュージシャンを見つけるために、、完全に自己満足でした。 仕事になるようなことなんてこれっぽっちも思ってはいません。数年前に サザンオールスターズ新宿ロフトでライヴしていたという伝説があり その後も必ずあると信じて、新宿、吉祥寺、高円寺、下北沢、渋谷など 名だたるライヴハウスは網羅していました。

 


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その時 出会ったバンドが『ウルフルズ』。『ガッツだぜ』がまだ発表されてなかったインディの関西バンド、、雑誌ピアでは 関西で人気急上昇のロックバンドと紹介されていて 関東には鳴り物入り? で東京に乗り込んできたバンドでした。当時『関東バンドVS関西バンド』なんて対バンライヴがあって 『ウルフルズ』は関西代表でした。あれは忘れもしない法政大学学館で対バンライヴの出来事でした。関西代表のウルフルズトータス松本が 身体中にバナナをぶら下げて出演してました。


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当時のトータスは、奇抜な衣装でブルースを歌うのが定番だったらしく、そのライブも全身バナナだらけの奇抜な衣装でした。

 

私は スタッフ専用の二階席で見ていました。ウルフルズの演奏が終わりトータスが、私の隣に絶え絶えに転がり込むように倒れてきました。携帯酸素を何本も使って息を整えていました。 会場は熱気溢れ そこで全力ライヴです。トータスも全て出しきってのハードなライヴでした。


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会場では 一段と大きな歓声が、、伝説のバンド『ザ・フールズ』のライヴが始まりました。フールズは1980年に結成された伊藤耕川田良を中心のバンドでした。決して メジャーとは言えないが音楽雑誌には必ず登場するバンドでした。 パフォーマンスも迫力があって、後の芥川賞受賞作家 町田康、当時は バンクロッカーだった町田町蔵も迫力あるパフォーマーとして人気を二分するロッカーでした。


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そのライヴで大変な場面を目撃しました。 伊藤耕が、一階会場のど真ん中に設置された音楽ミキサーの男に殴りかかったのでした。 伊藤耕は 音の返しをもう少し上げてくれとアピールしていました。音楽ミキサーは タバコを吸いながら伊藤のアピールを完全無視していました。 暫く無音の時間があり伊藤は舞台から下り音楽ミキサーの所へ、、伊藤は音楽ミキサーに殴り掛かっていました。


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トータス松本もその目撃者でした。会場はヒートアップしていた。バンドメンバーは そんな事を気にもせず 演奏を始め伊藤は舞台に上がり歌い始めた。音楽ミキサーは違う人に変わり 殴られた音楽ミキサーの男は 顔から出血していました。 演出にしては超過激で全てがリアルでした。

 

会場には 若手映画監督の石井聰亙逆噴射家族狂い咲きサンダーロードなど】も来ていました。フールズファンの石井監督は その一部始終を見て、その後、フールズのライブビデオやプロモーションビデオを作っていました。


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フールズの伊藤耕は 90年代に高円寺のジロキチや稲生座というライヴハウスを中心に活動していました。その稲生座は 私が10代の頃からよく足を運んだライヴハウスでした。 そこで、朝まで その夜に親しくなった人と一緒にお酒を浴びるほど飲んでいました。それが愉しくて愉しくて、、確実にみんな変態野郎でした。


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伊藤耕は 2017年に亡くなりました。亡くなった場所は、北海道の刑務所、札幌矯正管区・月形刑務所内。2015年に薬物で捕まり刑務所に入っていました。 出所を40日後に控えていた矢先の訃報でした。死因は不審死とのこと。最近 当時の刑務官が体調が悪かった加藤を病院に連れていかなかったのが発覚したようだ。

 

フールズの伊藤耕川田良【2015年死去】も酒と音楽と薬の破滅の人生でした。

高円寺・稲生座のマスターはギタリストでした。マスターが亡くなってから、私は稲生座には行かなくなってしまいました。