アイヌと琉球人は縄文人のDNAを色濃く持つ民族でした
1919年、大正時代に撮影されたアイヌコタン【村】の 今から100年前の写真です。
明治政府が 北海道と蝦夷地を日本に組み込んで【松前地区】約50年後の映像になります。 この頃は アイヌ文化はちゃんと現存し 脈々と受け継がれていたのが分かります。
アイヌ人のDNA鑑定で わかった事は 縄文人のDNAが 色濃く残っていた事です。
【アイヌが縄文人の末裔ということは定義出来ません。アイヌは大陸から渡来したという説もあります。それ以前から縄文人のルーツに繋がった可能性も否定出来ません】
日本人のミトコンドリアDNAを分析すると 幾つかのグループに分類することができます。このグループのことをハプログループと呼びます。日本人は、D4・D 5・M7a・M 7b・G・B 4・A ・F ・N9a・N9bなどあります。そのハプログループで 先祖が辿った道が分かります。
M7aは 沖縄に一番多く分布し、その割合は北に行くほど少なくなります。このことから M7aは南方系のハプログループと考えられます。
M9bは 逆に北に行くほど増加します。M9bは 北方から南下して行ったと考えられます。この M9b は現代日本人に占める割合は 2%程度と僅かです。
実は M7a も N9b も現存する東アジアの人間集団において非常に少ない、事実上、日本以外には分布していません。つまり、日本にしかないハプログループなのです。更に付け加えると、この2つのハプログループは 他のグループとは違い 東アジアに人類が到達し、東アジア各地に分散する前の 最古の人類から派生していることが分かりました。
縄文人のハプログループを調べると M7a、N9bのどちらかを持っていました。このことから 縄文人は 北方から来た人種と南方から来た人種が日本列島で混じりあったのではないかと推測されます。それは 日本語のルーツにも繋がると云われています。
アイヌ人は その北方由来の N9b のハプログループを持っていました。アイヌは北方から来た縄文人のDNAを色濃く持つ人種でした。元はシベリアのバルカン湖周辺に住んでいた種族と云われています。
琉球人が持っていた南方由来の M7aは どこからやってきたのか それはまだ分かっていません。あるサイトでは、海底に沈んだ「スンダランド」と呼ばれる大陸が起源とされると書いていますが 果たしてどうでしょうか?
M7a、N9bのハプログループは、日本人独特の集団で、日本列島に最も古くから居住しているグループだと考えられおり、数万年前にM7aグループは南方から、N9bは北方から日本列島にやってきて、縄文人として繁栄したとされています。
元々 縄文人の人口は少なく ピーク時で26万人程度でした。更に 縄文末期には 人口が減少し、ピーク時の1/3になったようです。【ブログ参照「現代日本人と縄文人の断絶はあったのか」】
やはり、その影響でしょうか、縄文人独特のハプログループを持つ現代日本人は とても少なく、僅か 数%の方々が 縄文人との繋がりの深い方々になります。分布としては、沖縄と北海道に多く分布しています。
ある思想の持ち主は、日本人は縄文人と弥生人の祖先を持っていて、それが他国の人種と違い 特別なんだと言っていますが、決してそうではなく、僅か数%の日本人がそうであり、大多数の日本人は 弥生時代以降、中国大陸や朝鮮半島など様々な地域から来た弥生人を祖先としています。
前回「現代日本人と縄文人の断絶はあったのか」で 縄文時代の人口の推移を投稿しましたが、今回、現代日本人のDNAの分析で、縄文時代後期の人口減少が証明されました。 縄文時代の後期、3200年前から 地球の平均気温が低くなり、縄文人の人口が ピーク時の26万人から 1/3になったそうです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46230660Y9A610C1CC0000/