焼き肉のお話
焼肉。 みなさん好きですよね。焼肉って いつから日本にあるのか知っていますか?
先日 朝鮮学校、朝鮮大学校卒業のある大学の先生にお会いして いろいろ民族学校についてのお話をお聞きしました。 最初は 北朝鮮のシンパかとたじろぎましたが 当時の朝鮮学校って 北も南もない朝鮮出身者の学校、朝鮮半島出身者の民族学校だったようで、その先生は 母親が南朝鮮出身で、日本生まれの韓国人でした。その先生から興味深い事をたくさん聞かせて頂きました。
特に 面白かったのは「焼肉」の話です。 肉を食するって 実は日本では 明治まで禁止されていました。調べてみると、奈良時代の天武4年(675年)天武天皇によって「殺生禁断令」が出され、「牛・馬・犬・ニワトリ・猿」の肉を食べることを禁じています。日本は仏教国という事で禁止になったようです。
ただ、イノシシや熊、キジなどが含まれていません。恐らく貴族の狩りの対象だったためではと思います。しかし、これにより日本の食肉文化が一時期途絶えることとなりました。
江戸時代、肉食は当然禁止でしたが、病人の滋養強壮のために狸や熊などが食べられていたようです。当然、隠れて食していたのでしょう。水戸の光國さんは隠れて牛肉を食べていたそうですが、、
明治に入り、やっと 日本人は牛肉を食べるようになります。明治2年(1870年)日本海軍が牛肉を栄養食として採用しました。明治5年(1873年)1月24日、明治天皇が国民に肉食を促すため、牛肉を食べました。これにより、実質的に肉食の解禁となりました。
牛鍋、すき焼きのお店が長崎や横浜で出来たのは この頃です。
もう 1000年近く 動物の肉を食べなかった日本人は 四つ足の動物の肉を食べるのは やはり抵抗があり気味悪がっていました。明治、大正に入っても 牛肉は普及しなかったようです。
昭和に入っても あまり普及はしなかったようですが 戦後 大阪のヤミ市で 牛の臓物を「焼き鳥」として販売したところ 大好評だったらしいです。 今でも「焼き鳥」と称して 牛や豚の肉が出ますよね。その 焼き鳥店をしていたのは 在日の朝鮮人でした。
朝鮮半島では 牛や豚の肉を嫌う文化はありません。牛の全ての肉を食す文化です。日本では 牛の内蔵は棄てていました。 在日朝鮮人は、それを貰い受け日常で食べていたそうです。恐らく その辺りが 日本人の朝鮮人差別意識を高めたのでしょうね。 隣国ではありますが 根付く文化は違います。
先ずは 日本の食文化は「箸の文化」です。一方 朝鮮【当時は韓国も北朝鮮もありません】は 「スプーンの文化」です。 「箸の文化」は お茶碗を持って食べます。皆さんもそうですよね。幼い頃 両親に箸の使い方やお茶碗を持って、、と教わりましたよね。 その為、お茶碗は手のひらサイズの小さな食器です。 ご飯が足りなくなると「お代わり」しますよね。
朝鮮の「スプーンの文化」は 食器を持ちません。スプーンで口に持っていきます。 在日朝鮮人の先生が幼い頃、南朝鮮からお祖母さんが来たそうです。先生は日本生まれ、当然 食器を持って食べようとすると 手を叩かれたそうです。お祖母さんは「日本人の真似をするな」と言ったそうです。それは 悪気があった訳では無く 朝鮮の文化では 「ハシタナイ、行儀が悪い」となるようです。
更に 朝鮮では 食器を手に持つ必要が無いので 大きな食器になります。 スプーンで料理を食べます。また、面白いのは 朝鮮では「お代わり」は出来ません。「お代わり」をすると 「ハシタナイ、行儀が悪い」と怒られるようです。お友達の家に行った時は 全部食べてはいけません。必ず 残すのがマナーとの事です。そうしないと 「ハシタナイ、行儀が悪い」となるらしいです。
さて、焼肉の話でしたね。
昭和20年、焼肉屋のルーツといわれるお店が開店します。東の「明月館」、西の「食道園」です。この二店舗が 焼肉のルーツと云われています。 どちらも 在日朝鮮人【まだ 韓国、北朝鮮と分かれていませんからね】が経営していました。 今でも そのお店はあるようです。
そして、現在の日本の焼肉の発展に一番貢献したと云われる発明がありました。昭和55年、名古屋の株式会社シンポが「無煙ロースター」の開発に成功しました。これによって、それまでの煙の中でニオイがつくのを気にしながら食べていた焼肉が 広く普及することになり、更に焼肉が高級料理店となるきっかけにもなりました。
どうでした? 焼肉って戦後のものだったって驚きませんか? それも 在日朝鮮人が普及させ 発展させたものです。韓国では 韓国料理に焼肉は昔からありますが 無煙ロースターを使った高級店は 日本の逆輸入でした。
ちなみに、朝鮮戦争がきっかけとなって、韓国を支持する派閥が自らの店を「韓国料理屋」と名乗ったそうです。また、北朝鮮を支持する経営者は「焼肉店」を名乗るようになりました。これは苦肉の策で、プルゴギを日本語に直訳したのが「焼肉」となったようです。
ちなみに 私が会った先生 「モランボンの焼肉のたれ」の開発に貢献した偉い先生です。