mickyabc’s blog

有安杏果の卒業発言以来 疑心暗鬼になっているモノノフさん。 杏果の卒業と共に他界を考えている杏果推しさん。不仲説を信じているモノノフさん。 そんな方に是非読んで貰いたいと書きました。ももクロを他界する前に是非読んでください。よろしくお願いします。

記録用

現代ビジネス編集部 2019年2月

 

「官邸人事」によって混乱に陥った農水省の知られざる悲劇

 

農林水産省がいま、混乱に陥っている。農業協同組合(JA)制度の改革やコメの減反廃止などを官邸主導で推し進め、「豪腕」として鳴らした奥原正明前次官の人事政策の傷跡によるものだ。

奥原氏は自らの出身部局に優秀な人材を集める一方、次官候補とされる優秀な人材を退官させるなど、徹底的に対抗勢力を排除した。次官の座は現在の末松広行氏に譲ったが、顧問として「院政」を敷く形で影響力を保持し続けている。

 

一方、農林水産省トップの吉川貴盛大臣のリーダーシップも不在だ。政策面での方針も打ち出せず、兼務する自民党北海道連会長としても、4月に控える北海道知事選で、自身が推す候補を認めさせるのが難航した。さらに、北海道議選で周囲の反対を押し切って次男に公認を与えたにもかかわらず、最終的に取り下げたことも影を落としている。

 

「豪腕改革派」のもたらす弊害

 

抵抗に遭いながらも、JAグループを束ねる全国農業協同組合中央会JA全中)の地域農協への指導・監査権の廃止による権限弱体化などを進めた。

その後、同期入省の本川一善氏が2015年に次官に就任したため、霞ヶ関の慣例に従い、奥原氏は退官すると思われた。

しかし、菅義偉官房長官による異例の人事で、本川氏は就任から1年も経たないうちに退官し、奥原氏が16年に次官に就任した。

奥原氏はさらにコメの減反廃止などの農協改革を推し進めた上、漁業資源管理の強化や養殖業への民間参入を促す漁業改革にも着手。昨年末には約70年ぶりの改正に向けた法案の成立を実現している。

この経歴をみると、奥原氏が「豪腕改革派官僚」であることは明らかだが、省内の敵対勢力の排除にも大なたを振るった。

奥原氏は次官就任から2年目を迎えた17年夏の幹部人事で、次官候補とされていた4人(肩書きは当時)を冷遇した。エースと目された今城健晴消費・安全局長、今井敏林野庁長官、佐藤一雄水産庁長官を退官に追い込み、筆頭局長ポストの官房長の任にあった荒川隆氏を農村振興局長に格下げしたのである(荒川氏は昨年夏に退官)。

特に、同期入省でライバルだった当時の前次官・本川氏の出身部局である生産局に対する冷遇ぶりは際立っている。農水省関係者はこう嘆く。

「酪農や畜産を所管する生産局は、本来なら次官レースの保守本流コース。例えば畜産部長は酪農家との厳しい価格交渉が求められるエース級がこなすポストでしたが、奥原次官時代からはすっかり技官のポストになってしまい、懸念材料になっています。

 

最近話題になっている和牛の受精卵と精液の持ち出しを厳罰化する法案も、秋の臨時国会に提出されますが、担当課は技官ばかり。国会議員の先生方に説明するノウハウは事務官のものですから、きちんとした対応ができるとはとても思えません。農水省全体でも、中間管理職に優秀な事務官がいなくなっています」

 

本当に「改革」が必要なのか?

 

一方、奥原氏は自ら「天領」と呼ぶ経営局出身者の「イエスマン」を抜擢した。自らの腹心を、経営局長(大沢誠氏)と水産庁次長(山口英彰氏)につけたのだ。

経営局長は自身の跡継ぎということだが、水産庁次長への人事には、漁業改革に対する思惑もあった。水産庁長官に、技官としては史上二人目の長谷成人氏を就任させるという異例の人事を行ったことが補助線となる。

「要するに、矢面に技官を立たせて、実権は手下に与えるという構図です。長谷長官は国会での漁業改革法案について、野党から『漁業現場に説明が行き届いていないのでは』という質問を受けて『キリがない』と答弁し叩かれていましたが、こういう不用意な答弁は、事務官ならあり得ない。実際に我々水産族への根回しは山口氏が中心でした」(水産族の自民議員)

漁業改革のプランそのものも、奥原氏が任期を異例の3年に伸ばしたい思惑から出た、との観測までなされている。

水産業JA全中のような中核組織を持たない。金融など信用事業の規模も、JAグループが誇る、日本の国家予算の1年分にも相当する100兆円規模に比べれば格段に小さい。

近年、漁業信用組合では統廃合の動きも進む。別の自民議員からは「改革が必要との陳情は漁協からも企業からも出ていなかった。奥原氏が主導する規制改革推進会議のためのごまかしの議論だ。農協改革の例を見て、官邸にアピールしたかったのだろう」と、当初から改革の必要性を疑問視する声が多かった。

実際、示された改革法案は全国の漁協から強い反発が予想されたためか、既存業者の権利を事実上継続的に認めると明記するなど、譲歩をうかがわせるものとなった。

奥原氏は官邸に続投を嘆願したが拒否され、昨年7月末で退官し、農水省の顧問に就任した。当時の人事を決定した斎藤健農水相が「農林漁業の改革の一定の区切りが付いた」と判断してのことだった。

 

院政」の実態

 

異例の「長期政権」の夢は叶えられなかった奥原氏だが、顧問としては漁業改革法案の策定に隠然たる影響力を持ち続けた。

農水省OBは「農水省の3階には顧問室がありますが、そこに現役の幹部が足を運び、色々とお伺いを立てています。次官室や秘書課には奥原氏の腹心や息のかかった部下がまだ大勢おり、不用意な発言や動きがあればすぐに奥原氏に届くようになっていています。

 

彼が次官に就任してから、省内の雰囲気がかつてよりも重苦しくなりました。次官用資料も奥原氏のために相変わらず用意されていたという話も出ていますから、いつまで顔色をうかがっているんだ、と情けない限りです」と嘆く。

農協改革に次ぐ漁業改革を「やり遂げた」奥原氏は、部下への論功行賞として、腹心の大沢経営局長を国際交渉などを手がける農林水産審議官に、山口水産庁次長を「天領」である経営局長にする人事を固めている。

農水省内では、奥原氏が顧問を退いた後の「次のポスト」についても関心が高まっている。政府の政策に助言する内閣官房参与に就任すれば、官邸と組んで一層の農林水産改革に切り込んでくることが予想されるためだ。農水省関係者が話す。

「省内の秩序をぶっ壊してきた奥原氏ですから、OBによる天下り先の調整は望めないでしょう。エースと呼ばれた今城氏が、次官に就任できずに退官に追い込まれたため、OBたちから『かわいそうだ』という声が上がり、次官の天下りポストである東京海上日動顧問に就いたのとは対照的です。ただ奥原氏は昔ながらのムラの論理に縛られないだけに、怖さは残ります」

 

後任の次官も「異例づくし」

 

では、奥原氏の後任次官である、末松広行氏とは何者か。

末松氏は1983年入省。小泉純一郎政権で2002年から首相官邸に出向し、首相を補佐する内閣参事官を約4年半務めた。その後は農村振興局長などを歴任し、2016年6月からは経産省との幹部人事交流で同省産業技術環境局長に就任していた。

農水省では林野庁水産庁の長官が次官に昇格するケースも多いが、出向先の他省庁から直接次官に就任するのは異例の人事と言える。

 

「奥原氏は自身の続投を官邸に訴えて拒否された後に、腹心の大沢氏を推して院政を本格的に敷こうとしたが、これもだめだった。それなら、というわけで、変な色のついていない末松氏を推したというわけです。奥原氏自身は特に末松氏に思い入れはありませんが、こいつなら御せる、と考えたんでしょうね」と分析する。

末松氏といえば昨年12月、写真週刊誌「フライデー」で、元部下の女性に対するセクハラ・パワハラについて報道されたのが記憶に新しい。

記事によると末松氏は、総合食料局食品産業企画課食品環境対策室長を務めていたときの女性部下に対し、内閣参事官に出向してから1年以上にわたってセクハラ・パワハラを繰り返したという。大量のメールを送ったり、電話をしたりして食事に誘い、拒否されると激怒した。

女性は精神的に追い込まれ、人事担当者に相談したが、まともな対応をされずあしらわれたという。自宅の官舎前で取材を受けた際に末松氏は「(女性本人が)傷ついたと言っているなら次官を辞める」と約80分にわたり潔白を訴えたとも書かれている。

全国紙政治部記者によると、この記事が掲載された「フライデー」が発売される前日の昨年12月6日、早刷りが官邸や農水省、報道各社などの関係者に出回ったため、末松氏は緊急で釈明会見を開いたという。

 

「それが、会見を開いたまではよかったのですが、肝心なことになると『知らない』『覚えてない』『記憶にない』のオンパレードで、農水省内でも『あの答弁はない』との反応がありました。

財務省次官と女性記者の問題があったばかりの状況なのに、会見に同席した秘書課長も『昔のことで、女性が相談に来た記録は残ってないし、対応にも問題はなかった』の一点張り。霞ヶ関というところが男社会なのが浮き彫りになるだけの対応でしたね」

 

また、別の専門紙記者は「実は、末松氏のこの問題は省内では知られていた話で、官邸も農林族の自民議員もみんな知っていました。そもそもこのパワハラ問題が起きた時の秘書課長は奥原氏でしたから、後任を指名する時に知らなかったはずがありません。末松氏の『アキレス腱』を知った上であえて次官に就任させたわけで、官邸の覚えがよほどよかったのでしょう。

末松氏が次官に就任した時に、次官候補だった松島浩道農林水産審議官が同じポストにとどまったのは、末松氏がこの問題で退任することになった場合に備え、控えを残すためだったとも言われています」と分析する。

報道にショックをうけたのか、末松氏は直後の記者クラブとのオフレコ懇談会を「諸般の事情により」欠席している。先の専門誌記者によると、マスコミ対応も饒舌だった報道以前とは違い、避けるようになったという。

 

くすぶる「経産省との統合論」

 

末松氏の次官就任の際に、霞が関まことしやかにささやかれたのが「農水省」と「経済産業省」の統合論だ。

農水省は2001年の省庁再編の時も名称変更されず、統合の波を乗り切った。「食の安全保障」という金科玉条があるためといわれるが、官邸サイドからすれば規制にがんじがらめにされた農水省を改革したい思惑は常にある。安倍政権で力を持つ経産省が人を送り込み、改革を進めた後で統合にもっていこうとするのも無理はない。

実際、経産省出身の斎藤健前農相時代には、斎藤氏の1年先輩にあたる嶋田隆経産省次官が、宗像直子特許庁長官を農水次官もしくは次官級の農水審議官に据える算段を進めていた。

結果としてこの人事案は実現しなかったが、奥原氏と、「突破力がある」と霞ヶ関で評価される宗像氏のコンビは、規制緩和を進めたい勢力にとってはうってつけの人選だったといえる。

先の専門誌記者は「宗像氏は安倍総理の秘書官もやってたから、加計学園での柳瀬唯夫氏のことが取りざたされた時期だったために実現しなかった。生え抜きでない宗像氏は、次官は無理でも農水審議官ならあり得たはず。末松氏は経産省に出向していたこともある上、農政改革を進める奥原氏に指名された手前、言うことを聞かざるを得ない。こういう統合論は末松氏以降もくすぶり続ける」と予想する。

 

大臣は「節操のない人」

 

一方、農林水産省トップの吉川貴盛大臣は、就任5ヵ月が経過したが存在感を発揮できていない。生粋の農水族議員でないこともあり、政策面でのリーダーシップをとることが難しい上に、兼務する自民党北海道連会長としての足元も揺らいでいる。

吉川氏は北海道札幌市の出身で、北海道議を経て、1996年の衆院選で初当選し、6期目を迎える。

農林水産大臣は農林関係に強い、いわゆる農林族が就任するのが普通だが、吉川氏は経済産業副大臣を務めるなど根っからの農林族ではない。

自民党の農林族議員は「環太平洋経済協力協定(TPP)の議論が出た時に農水副大臣に就任し、自民党の対策本部長として話をまとめるように言われたのが彼の農林族としてのスタートです。元々自民が与党に返り咲いた2012年12月の衆院選では、日本のTPP参加に反対の立場を取っていましたから、180度態度が変わったことに、地元の関係者は『節操のない人』と反感を示していました」と話す。

吉川氏は二階派で、片山さつき地方創生相や桜田義孝五輪相とともに、いわゆる「入閣待機組」だった。ある農相経験者は「吉川氏の印象は、とことん安全運転な人。目立つことをしない代わりに、上の言うことには忠実」と分析する。

また全国紙記者は「農水省関連のイベントがあると、挨拶でいつも『二階先生のおかげで』と話してオヤジにアピールをするのがクセになっていますね。マスコミに取り上げられるわけでもないのに、正直痛々しい」とあきれ顔だ。

一方、吉川氏は菅義偉官房長官と近い。農水副大臣だった2013年には、菅氏の要請を受けて農協改革に着手した。党のプロジェクトチーム座長として、コメの生産調整(減反)見直しや農地中間管理機構の創設など政府の改革をけん引。菅氏が進めた航空行政の規制改革についても北海道連会長として推進するなど、政権中枢に食い込んでいった。

 

進む農林族の「弱体化」

 

では、肝心の大臣としての仕事ぶりはどうだろうか? 専門紙記者は「とにかく官僚の作った答弁書のペーパーを読み上げるだけ。自分の考えなど全くなく、徹頭徹尾丸投げですね。まるで『原稿読み上げマシーン』みたいだと言われています」と話す。

北海道の自民党関係者も「吉川氏は地元が札幌市内の都市部で、農業地帯ではありません。農業に思い入れもなく、たまたま大臣になれたからルーティンでこなしているというのが本音でしょう」と冷ややかだ。

日本の農業界はアメリカとの日米新交渉を控えるが、交渉のトップは茂木敏充経済再生担当相が務めており、吉川氏に実権はない。農水相は農業団体などとの調整役を務めるが、官邸の「自分たちと距離の近い吉川氏を就けた方がよいとの判断」(官邸筋)が働いた。

日米新交渉をめぐっては、昨年10月の自民党幹部人事が「自動車と農業のバーター」がテーマになることを見越し、農林族の弱体化を狙ったものとの憶測も飛んだ。

農林族の自民議員は「重鎮の野村哲郎氏は農林部会長にとどまりましたが、森山裕氏は国対委員長塩谷立氏は党の財務委員長、江藤拓氏は首相補佐官と、軒並み責任の重い役割を負わされています。本人たちは『問題無い』というでしょうが、農業界からの声が反映しにくいように、都合よく配置されたと見られても仕方ありません」と指摘する。

 

大臣の地元・北海道のゴタゴタ

 

吉川氏は農林水産相と北海道連会長を兼務する。4月の北海道知事選、統一地方選を控え、道内のまとめ役となる道連会長は重責だ。就任会見では兼務について「北海道議会の代表の皆さまから、ぜひ続けてほしいというご要請をいただいた」と意気込みを見せていた吉川氏だが、こちらでもすでに「足元の脆弱さ」が浮き彫りになっている。

まず北海道知事選では、昨年末に現職の高橋はるみ氏が不出馬を明らかにすると、北海道連としては次の候補を立てる必要に迫られた道連内は分裂の様相を呈した。

吉川氏は和泉氏に直接、鈴木氏への一本化の意向を伝えたが、和泉氏擁立の声は下がらなかった。鈴木氏が無所属での立候補表明に踏み切るなど混乱は深まったが、最終的には鈴木氏を候補とすることで落ち着いた。

 

北海道連執行部の自民議員は舞台裏をこう明かす。

 

「鈴木氏は法政大学の同窓生で菅氏と近く、吉川氏も菅氏の要請を引き受けたというのが本音。一方、和泉氏も北海道地震の際の対応などを通して、各地の自治体や商工会議所との関係を深めていた。

ただ、官邸の強引なやり方を嫌っている人もいるし、亡くなった中川昭一氏のような大物議員なら、そもそもこういう事態にはならないのは確か。要するに、軽量級の吉川氏は『なんでお前の言うことを聞かなくてはならないんだ』という道連の反発を抑えきれなかったのでしょう」

 

次男ゴリ押し騒動

 

吉川氏が地元で抱えるゴタゴタは、これにとどまらない。4月の北海道議選で、周囲の反対を押し切り、次男の統勝氏を自らの地盤の札幌東区に擁立しようとしたのだ。

吉川氏の地盤である札幌二区は札幌北区の一部と東区からなり、すでに北区では長男の隆雅氏が県議として3期目を迎えている。今回、東区で自民道議が引退することを受けて、吉川氏が統勝氏を擁立しようとしたが、自民党札幌東区連合支部の役員の半数が辞表を提出する異例の事態に発展した。

最終的には、吉川氏が北海道連会長として昨年12月に公認をゴリ押しした。北海道の自民党関係者によると、地元では「札幌は吉川家のためにあるんじゃない」と大批判が起きたという。

しかし、この「次男ゴリ押し騒動」は、ほどなく断念に追い込まれる。

吉川氏は昨年末に統勝氏に公認を与えた翌日、なんと氏を自らの政務秘書官に就任させた。これにはさすがに「身びいきもたいがいにしろ」との批判が上がり、また自民候補が二人になることで地元の公明党との関係悪化も危惧され、結局は統勝氏の公認を取り下げざるを得なくなったのだ。

先の自民党関係者は「統勝氏が政務秘書官になること自体は、法的な問題はありませんし、安倍晋三首相も故・安倍晋太郎氏の外務大臣時代の秘書官を経験しています。しかし結局のところ、こういうことを繰り返す吉川氏を、地元は信頼できないということにつきるのでしょう。道連会長が交替してから立て続けに騒動が起きていること自体、敵の多さを物語っています」と話す。

この4月には日米新交渉も始まるとされる。「農業が食い物にされている」という農業関係者からの批判も高まる中、衆参ダブル選となった際の吉川大臣の交代の観測も出始めている。

次官、大臣と、「官邸人事」が猛威をふるう農水省。確かに、「ムラ」とも呼ばれたかつての人事慣行を打破して進めた改革の評価は分かれるところだが、省内の混乱はしばらく収まりそうもない。

 

財界札幌

新型コロナウイルスへの対応をめぐり、北海道知事・鈴木直道氏(38)の株が上がっている。月刊誌「財界さっぽろ」は、道知事に当選する直前の 2019年3月号 にて「若くてさわやか」だけではない 鈴木直道の知られざる“政治家”の顔」という記事を掲載していた。地元メディアが伝えた若きリーダーの素顔とは――。 


「したたかな政治家の顔もあるんだと感じた」


「若すぎる」「経験不足」  自民党道連による知事選候補の選考期間中、夕張市長の鈴木直道にはこうしたマイナス評価が多く寄せられていた。  だが鈴木はこうした声をはねのけ、2019年1月29日に自ら出馬の意向を表明した。このとき、同党道連の選考はまだ終わっておらず、2月2日には鈴木ともう1人の候補である国土交通省北海道局長の和泉晶裕の意向調査をおこなうことになっていた。  鈴木はそれを待たずして、2月1日に出馬記者会見を開き、その日のうちに公明党道本部、自民党道連を訪れ、推薦を要請した。そして公明は異例のスピードで即日、推薦を決定した。 「『順番が違うだろう』と“和泉派”の人たちは怒っていたが、2月1日に鈴木一本化の流れはほぼ固まり、(参院議員の)橋本聖子さんの出馬説も再浮上したけれどすぐに消えた。最終的に自民は鈴木さんを推薦。結局、あのとき鈴木さんが勝負に出たのは正解だったわけだ。公明とは事前に打ち合わせをしていたのだろう。『若くてさわやか』だけではなく、したたかな政治家の顔もあるんだと感じた」(自民関係者)


官房長官とはすぐに意気投合


 鈴木の知事選出馬に否定的な立場をとっていたのは、自民道議や国会議員、経済人だけではなく、市町村長の大半も“和泉派”にまわった。鈴木が2016年にJR石勝線夕張支線の廃線JR北海道に逆提案したことも、路線見直し問題を抱える自治体の首長から「スタンドプレーだ」と不評を買っていたという。  一方で、こんな声もある。 「誰がどう考えても、遅かれ早かれ廃線は決まっていた。ならばJRからの支援を引き出しながら、バス転換を図ったほうがいいという鈴木さんの判断は間違っていない。かなり唐突ではあったけど、この件で政治判断ができる人だと認識した」(交通政策に詳しい大学教授)  鈴木と官房長官菅義偉が緊密な関係にあることは、新聞報道などでも触れられている。  菅は夕張破綻・財政再生団体指定の判断をした第1次安倍政権時の総務大臣だった。鈴木は市長就任後、当時は民主党政権だったが、法政大学法学部の先輩でもある菅を訪問している。お互い働きながら大学に通った苦学生だったこともあり、すぐに意気投合。現在も菅は夕張を応援し続けている。

 

SMAPメンバーとの懇談も


 鈴木周辺から漏れ伝わる話では、2人は2カ月に1回のペースで会っているという。鈴木と親交のある自民関係者は「鈴木さんが上京して会っているのは、菅さんだけではありません。東京の経済人などにも会い、人脈を広げている。こうした地道な活動が、2018年5月に元SMAPメンバーとの懇談などにつながっている。自分のブランド力を磨く力はかなり高い」と明かす。    さらにさかのぼると、最初の夕張市長選のとき、強力に鈴木を応援したのは、元東京都知事石原慎太郎猪瀬直樹だった。当選後も都が夕張に職員の派遣をおこなうなど、協力関係は続いた。  だが14年、猪瀬が公職選挙法違反で公民権停止の略式命令を受け辞職。その後の選挙で都知事になったのは、猪瀬都政に批判的な舛添要一だった。このとき、都と夕張の協力関係は一度途切れかかったという。 「鈴木さんと舛添さんは接点がなかったが、ここでも培った“東京人脈”を駆使しながら初会談を実現し、支援継続を約束させたと聞く」(前出自民関係者)


2カ月に1回上京して官房長官に会い続けた


 道内の若手地方議員との交流も積極的におこなっているようだ。  例えば道央のある地方議員は鈴木に対して、夕張で実施されているコンパクトシティー化を自分の地域でもできないか、相談をしたことがあるという。この議員は「ふるさと納税についても鈴木さんから詳細なアドバイスをもらいました。わが町では、夕張を参考にした仕組みを取り入れています」と語る。  前出の大学教授は次のように語る。 「よく『国の言われたことをやっているだけ』と小ばかにされているが、鈴木さんが夕張でどれだけ神経をすり減らして国や道、職員とやりあってきたか、みんなわかっていない。17年には財政再建計画の見直しも勝ち取ったが、これも2カ月に1回上京して官房長官に会い続けた政治家としての成果。政策立案能力も市長として過ごした8年間で格段に上がっている」  しかし、空知の自民関係者は鈴木の政治家としての“甘さ”を指摘する。 「気が強く、強引にものごとを進める力があるのは認める。だが、市長会にも顔を出さない、空知の政治関連の会合にも出ないじゃ、他の自治体関係者から反感を買うのは当たり前。鈴木さんは『お金もないので、会合には出られなかった』と言っているみたいだが、知事選に出るのであれば、地元政界の人たちとの付き合いも大切にするべきだった」

 

週刊文春


 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、北海道の鈴木直道知事は2月28日、「緊急事態宣言」を発表した。鈴木氏はその2日前にも、国に先駆けて道内の小中学校の休校を要請。会見において「結果責任は知事が負います」と発言したことにも注目が集まった。

 


 7年前の12月、石原慎太郎の後任の東京都知事を選ぶ選挙の最終日、群衆で埋め尽くされた新宿・アルタ前広場に停められた選挙カーの屋根の上で、猪瀬直樹候補の応援弁士に立ったその男は、半ば絶叫するような声になった。

 

「皆さんから税金をいただいて飯食ってるんですから、私たち公務員が都民のために働くのは当然ですよ。でも東京都の職員はそれだけじゃだめなんだ」

 

全国最低賃金の首長として夕張市


 声の主は、北海道・夕張市長になって2年目を迎えていた鈴木直道(当時31)だ。全国どの市町村の首長よりも給料の低い、さらに言えば前職の都職員より年収で200万円も少なくなるのを承知で、夕張市長の職に身を投じた。その実績が評価され今春、北海道知事に選ばれた人物である。

 

 アルタ前の演説はこう続いていた。


 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、北海道の鈴木直道知事は2月28日、「緊急事態宣言」を発表した。鈴木氏はその2日前にも、国に先駆けて道内の小中学校の休校を要請。会見において「結果責任は知事が負います」と発言したことにも注目が集まった。

 

「首都のために100パーセント働くだけではなくて、首都を支えている多くの全国の地域のために、皆さんの故郷のためにもう20パーセント、合計120パーセント働いて、やっと都民のみなさんから合格がいただけるんだ、それが首都公務員なんだ。前例がなくても、ほかのところが一切やっていなくても東京都というのはこれをひっぱって、国を動かして、日本を牽引する」

 

 演説の内容というよりも、挑発的なその弁舌が私の印象に残った。都庁職員時代、副知事の猪瀬から「役人的なしゃべり方では伝わらないぞ」と叱られていた都庁職員の頃の鈴木とは、全く別人のように見えたのだ。

 

破綻した自治体から叩き上げる


 鈴木は埼玉県生まれ。両親が離婚したため母子家庭で育てられた鈴木は、高校卒業後の1999年に東京都庁に入庁。地方公務員を選んだのは、恵まれない人々にとって行政サービスがいかに重要かを肌身で知っていたからだ。

 

 社会人になってから夜間に大学にも通ったが、大きな転機になったのは08年1月、猪瀬の発案で財政破綻した夕張市に派遣する応援職員の1人に選ばれたことだった。約2年間の派遣期間中の鈴木の行動力に心服した地元の若手経済人たちから推され出馬した11年4月の夕張市長選を制し、市長になった。

 

 給与7割カット、手取り20万円を切る待遇を覚悟で市民に飛び込んだだけではない。当時の問題意識は「政治力も弱い小さな町に過大な問題が置かれている」ということだった。

 

 当時の財政再生計画は「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」に設定され、東京23区よりも広い面積に点在していた7つの小学校、4つの中学校はそれぞれ1つに統廃合され、住民税負担は増えた。これも“自己責任の結果”と見られていた。

 

【とはいえ 夕張をこんな形にした中田市長を推していた北側の市民は あっという間に夕張から去ってしまったけどね。中田市長をノーと言っていた市民が、いま残って頑張っているよ。ある市議は置き手紙で「すまない」と一言。夜逃げのように夕張から去って行った。噂だが当時の市役所職員は いつか夕張は無くなると言って 住宅を夕張市内には建てなかった。市外から市役所に通勤していたよ】

 


 借金返済が優先だから、保育園が雨漏りしても、雪かきができずに市民プールの屋根が崩壊しても、市の一存では修復工事1つ決められなかった。

 

 鈴木は国への働きかけを強め、2期目の折り返しの年だった17年3月、とうとうこの再生計画の抜本見直しを総務省が認めた。企業版ふるさと納税を活用しつつ、コンパクトシティ化に向け、認定子ども園の整備など未来志向の投資を可能にし、国の財源も引き出した。


 最後は市民から「市長の給料をあげろ」という声も出たが、鈴木は8年の任期切れまで上げなかった。

 

 38歳になった2019年4月、若さと市政の実績を買われるかたちで当選した北海道知事は、夕張市に比して予算規模でじつに約250倍にもなる道庁を率いる。8月からは知事の給料・ボーナス・退職金の3割カットも始めた。

 

小泉進次郎を超える政治家になるよ、彼は」 


 アルタ前の演説に戻りたい。

 その日本を牽引する都知事が強い基盤を築けるよう、「絶大なる支持」を投票行動で示してほしい、と締め括っていた。〈ゼツダイナルシジ〉という言葉にアクセントをつけたところで聴衆を見渡した鈴木の姿は、1人ひとりに具体的な行動をするよう、要求を突きつけるように私は見受けた。

 

 私の横で、国会議員時代から石原慎太郎に仕える特別秘書の高井英樹も聞いていた。石原秘書軍団の中でも“一匹狼”で知られるが、直感的な洞察力は石原から重宝されてきたといわれる。そんな高井がつぶやいた。

 

小泉進次郎を超える政治家になるよ、彼は」

 

地元ネタとユーモアを交えた応援演説が売りの進次郎は元内閣総理大臣の地盤を受け継ぎ「次の総理」の上位に必ず名が挙がる。対する鈴木は、貧困家庭に暮らした経験から都職員の道を選び政治の才を見出された。

 奇しくも2人とも昭和56年生まれだ。鈴木が知事になった今年、私には高井の「予言」が何度も思い起こされた。

 

ジリ貧の北海道をどう建て直すか?


 知事になった鈴木は北海道で何をするのか。

 札幌市はマラソン競歩の急転直下の移転によって2020年五輪の成否を握ることになった。その札幌は30年冬季五輪招致に名乗りを挙げており、今回のマラソンの成功はホストシティとしての能力の証明に直結する。一方、11月29日は道議会定例会でIR(カジノ)誘致については断念すると表明した。

 

いちいち注目されるのは、ジリ貧が見えかくれする北海道経済の希望を道民もメディアも探しているからだ。合計特殊出生率は東京都に次ぐワースト2位の1・27。人口はすでにピークの97年から6パーセントも減っている。

 鈴木は、新しい北海道の未来予想図を描けるのか。人口は8000人とピーク時のじつに15分の1を切るまでに減った夕張市で、鈴木は何をしていたか、東京にいると見えないその仕事ぶりを知りたくなり、私は北海道に取材を重ねることにした。人口減少で経済の成長余地が減る政治は、もう利益を分け合うことはできず、不利益を押し付け合う構図が頻出する。夕張はそのモデルケースになるとも思えたのだ。

 

 詳しくは「文藝春秋」1月号および「文藝春秋digital」に「令和の開拓者たち 鈴木直道」と題して寄稿したが、取材を通じて「巻き込まれやすい性格」だった鈴木が、次第に「巻き込んで行く技術」を確立していった姿が浮かび上がってきた。

 

 課題先進地の現状は、日本全体にとっても他人事ではない。政府は近く正式に公表する2019年の出生数が90万人を下回ることを明らかにしたが、これは17年に発表した将来推計よりも2年も早く、少子化は一段と深刻化している。

 令和の政治にどのような足跡を刻むのか、新時代の保守政治家の誕生になるのか、鈴木の今後に目が離せない。(文中敬称略)

有識者東京オリンピック後には、東京の人口も減っていくと言っている。日本の人口減少は深刻的な将来の問題になるはずだ。鈴木知事は、既に夕張市長時代からそれを見据えている】

 

 

【しかし、当時の農林水産省の内部は ずいぶんとゴタゴタだったようだ。そのトップの吉川元農林大臣も地元の道議の動きを掌握してないことで分かるように 人身を掌握出来ていない。彼は官邸主導の忠実な人物だったようだ。官邸主導の農業の自由化に向けた様々な 法改革も相当、影響があっただろうな。

  吉川元農林大臣の息子二人を道議にする身内優先でも、保守道議からは相当な反発があったらしい。間違いなく亡くなった大物政治家、中川昭一さんよりは小物だ。【小野寺元道議は中川氏に薫陶を受けていたらしい】そこで自民党道連の道議らで国土交通省の和泉晶裕北海道局長を擁立する動きがあったが、鈴木直道氏は単独で知事候補に立候補した。【菅さんの意向もあったかな?】北海道公明党も正式に鈴木氏を推薦。北海道では公明党を敵に回すと政治は出来ない。これで道議や市町村の和泉氏の擁立は出来なくなった。

【和泉氏は、国土交通省の和泉晶裕北海道局長をしていた方だ。北海道の事情も相当詳しいはずだ。北海道知事には申し分ない】

鈴木氏は夕張市長として都庁は勿論、中央の各官庁を回っていた。菅官房長官とも何度も会って気心は知っている。ましてや 大学の先輩後輩の間柄。【この辺りが官邸肝いりと批判されているのだろう】

鈴木氏の政治的手腕は凄い。北海道知事立候補に向けた根回しは相当なものだ。鈴木氏は 思っていた以上に 本格的な政治家のようだ。しかし、石原都知事猪瀬直樹副知事といい、菅官房長官まで大物政治家に直接会って 味方にさせる鈴木直道知事は 本当に大物になるかも、、新型コロナでは雪まつりで中国人観光客を受け入れたというが、あの時点では 政府も無防備だった。そもそも、雪まつりは札幌市長の管轄だ。そんなことより、その後の北海道の新型コロナ感染拡大を阻止した北海道方式を評価すべきだ。 あれは全国から注目された北海道方式だった。 全国のテストパターンと揶揄されていたが、結果、新型コロナ拡大を阻止している。それこそ、鈴木直道知事の手腕といえる… 菅官房長官の肝いりのIR法案も一時凍結させている。結果 新型コロナもあり IR誘致を目指していた企業が撤退した。鈴木知事は中央の意向だけでは動かない一面も持っている。今はウポポイ、アイヌ問題だ。 アイヌ先住民論争は 有識者でも様々な意見がある。しかし、ほんの少し前までは 学者も道民も アイヌは先住民だったと誰もが信じていた。アイヌは先住民ではないとする論は ごく最近の学説だ。昨今の アイヌ否定論者は 右派ビジネス者の言動に影響を受けすぎている。もっとアイヌの歴史を知るアイヌ問題に真剣に取り組む方々の意見を聞いて、何が問題なのか勉強し、しっかり鈴木知事に訴えるべきだ。それでなくとも、国連でアイヌ少数民族と決定し、それを受けて出来たアイヌ新法で、何とかギリギリのラインでアイヌ民族と留まっているのに】