mickyabc’s blog

有安杏果の卒業発言以来 疑心暗鬼になっているモノノフさん。 杏果の卒業と共に他界を考えている杏果推しさん。不仲説を信じているモノノフさん。 そんな方に是非読んで貰いたいと書きました。ももクロを他界する前に是非読んでください。よろしくお願いします。

コロボックル伝説


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#コロボックル 伝説は何処から来たのか? 果たしてコロボックル【フキの下の小人】は実在したのか?
写真は足寄町のラワンブキです。体長は3mにおよびます。


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コロボックル伝説とは北海道に小人がいるといったアイヌの口承伝説です。その最古の伝承文はイギリス東インド会社の【1613年 セリーヌ日本渡航記】に書かれています。内容は 蝦夷地の北方にアイヌとは異なる背の低い人間がいると書かれています。これは松前に行った事がある和人に聞いた話でした。次に南千島択捉島へ漂着した和人の船員の調書にアイヌから聞き取った小人伝説がかなり詳しく記されています。『小人島から本島へ土器に使う粘土を盗みに彼らは 度々渡ってくる。アイヌが小人を脅すと船もろとも姿を隠してしまう。小人島にはワシが多くいて 小人が外出するときは 10人ほどで手を繋ぎ歩く』【1662年 勢州船北海漂着記】これが17世紀の資料です。18世紀は上ノ国小砂子という地名に関する記事に出現します。『昔ここに小人島から小人が100人ほどやってきて 土を盗み 草を抜いていった。そのため"ちいさごが崎"という』【1710年 蝦夷談筆記】また【1789年 蝦夷喧辞弁】にも似たような文章が書かれています。……19世紀になると"コロボックル"という名前が出てきます。『昔 フキの葉の下に三人ずつうずくまっている小人がいた。アイヌは彼らを"コロボックル"【フキの下の小人】と呼んだ。アイヌがものを乞うと コロボックルは窓から手を差し出し それを与えた。コロボックルの手にはイレズミがあり アイヌのイレズミはこれを真似たものである。小人はその後 北方に去り 今は北海道にいない。またの名をトイコイカモイ、あるいはその去った先が北千島のウルップ島に近いのでクルムセ【千島アイヌの名称】と呼んだ』【1806年 東海参譚】また伝説によっては『窓から手を入れてアイヌに魚を与えた。彼らがアイヌに魚を乞う場合があり 与えなければ悪さをする。小人の声を聞いた者はいても 姿をみた者はいない。窓から魚を差し出した小人の手を引き入れると 美しい女だった』【1808年 渡島筆記】などあります。



アイヌユーカラ源義経が生き延び蝦夷地に渡ったとする伝説があります。いわゆるアイヌの#義経伝説 です『蝦夷地に渡った義経オキクルミ…/…国土創造神】がアイヌの大将の娘婿になり その大将が秘蔵する"トラ・ノ・マキモノ"という古い書巻を盗んで逃げた』アイヌが文字を持たないのはこの書巻が盗まれたためであると考えていました。

【1739年 北海随筆】にも似たようなユーカラ採録されています。実は これらの内容は 日本の中世説話を集めた『御伽草子』におさめられた義経伝説『御曹子渡島』のあらすじそのものなのです。恐らく10世紀以降に蝦夷に渡った熊野修験者【金堀り技術者】が広めたのでしょう。

 

内容は 義経が源氏再興のため蝦夷が島の大王がもつ兵法書を手に入れようと平泉を発ち 途中『小さ子島…/…背の高さが扇の丈くらいしかない小人の島』『女護の島…/…女性だけの島』『馬人島…/…上半身が馬で下半身が人間の島』『はだか島…/…島人が裸の島』など 奇怪な島を巡るストーリーです。 この『小さ子島』のエピソードに義経が立ち寄った小人島の小人は鶴にのみこまれないよう大勢で手を繋いで歩くシーンがあります。この鶴と小人は当時の日本では庶民の間で広く普及していました。俳句で鶴といえば小人が付合【つけあい】になっています。

 

もともとは中国の伝来で 古くは【978年 太平広記】などにみえ 明の百科辞典【1607年 三才図会】の小人の項に 東方に小人国があり 鶴にのみこまれないよう群れて歩くと書かれています。更に 中国の小人記事は 元をたどればインドに小人族がおり 鶴から身を守るため隊列を組んで遠征するという 古代ローマの【77年 プリニウスの博物誌】の記事が中国に伝わったものであるといいます。【アイヌ学より】


いつの間にか鶴がワシに変わってしまったのでしょう。しかし 他のエピソードはどうでしょうか? 小人は土器をつくる土を盗みに小人島から北海道に渡ってくる。アイヌが脅すと船もろとも姿を消す。小人島にはワシが多くいるなど……。


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結論から言うと この特徴は北千島アイヌの特徴そのものと言えます。北千島アイヌは江戸時代まで土器づくりをおこなっていました。土器に使う土は他の島から採取していたそうです。更に 北千島はワシの島として北海道アイヌに知られていました。10世紀以降 オオワシの尾羽は高級な矢羽として珍重されていて おもに千島の島々が主産地でした。では姿をすぐ消す 姿を見れないとはどういう事でしょう?それは 彼らの交易方法にありました。彼らは沈黙交易という太古の商い方法を使っていました。島の浜に商い場を設けて 北海道アイヌは交換する品を置きます。数日後に北千島アイヌが欲しい品を持って帰ります。数日後 北海道アイヌは残った品を持ち帰ります。数日後 北千島アイヌは持ち帰った品と価値が一緒の品を置きます。 同じアイヌでも 姿を見せない、出会ってもすぐ身を隠し交換する品だけ浜辺に置いておく物々交換だったようです。……前編