コロボックル伝説 後半
後半……コロポックル伝説と北千島アイヌ……15世紀のアイヌは大きく分けて北海道アイヌ【北海道アイヌでも細かく分かれていますが…】樺太アイヌ、南千島アイヌ、北千島アイヌと分かれていたそうです。元は一緒のアイヌでしたが 13世紀以降 地域を隔て生活をしたそうです。
道東アイヌは北千島アイヌをトイチセコッチャカムイ【竪穴住居に住む人/神】と呼んでいました。 北海道アイヌが13世紀で竪穴住居から平地住居に変わっても 北千島アイヌは 土器と同様 竪穴住居の風習が明治時代まで続いていました。【因みに 南千島と北千島の境界線は 日本が主張する国境と一緒で 択捉島(エトロフ島)とウルップ島の海峡を境に分けています】
【1710年 蝦夷談筆記】によれば 『千島の島々には異形の者がいる。耳輪を鼻に通す島、男に髭が無い島がある』また イエスズ会宣教師の【1618年 ジロラモ・デ・アンジェリスの第一報告】では 道東アイヌから聞いた話として『北千島アイヌは髭が無く色黒でアイヌ語と異なる言葉を話す』また 他の宣教師は『北千島アイヌは色白で 石造りの家に住み 立派な身なりをしている』といいます。
更に【1739年 北海随筆】では 難破した際 流れ着いた島【北千島か?】の『住人は一つ目で言葉が通じない。 住人は頭髪が縮れていた』といいます。このように 道東アイヌは北千島アイヌを異形の人々や妖怪 妖精のような認識があったのでは無いでしょうか?
以前 私がインドネシアのバリ島で生活をしていた時 地元の漁民は『隣のロンボク島には 指が6本ある種族がいて 忌み嫌われている島だ』と言っていたのを思いだします。こうした認識はお互い接触を執拗に避け 両者のコミュニケーションが長年 無かったためだったと思われます。
しかし そんな両者でも お互い交易はあったことは知られています。実は彼らは沈黙交易という直接接触をせず物々交換をする方法をとっていました。それはどのようなものかと云うと 道東アイヌが和人との交易で手に入れた米、塩、酒、タバコを浜辺に作った商い小屋に運びます。彼らはその場を離れ一週間は戻らない。その間に北千島アイヌが小屋に置かれた品物と獣皮を交換する。そして 道東アイヌがやってきて 獣皮を回収します。獣皮が過分であれば それにみあった交換品を置いていきます。
この沈黙交易の風習は古くは【古代ギリシャの歴史家 ヘロドトスの歴史…/…紀元前5世紀】に書かれています。それによれば 今のチュニジア【カルタゴ人】とリビア人との交易は カルタゴ人が交易品を波打ち際に並べ 船に帰ってのろしをあげます。煙をみたリビア人は海岸にやってきて 交易品の代金として黄金を置き その場から遠く離れます。するとカルタゴ人が下船し それに見合う額なら それを取って立ち去ります。額が見合なければ 再び 乗船して待機します。それは カルタゴ人が納得するまで繰り返します。双方とも不正は決してしていないというのです。
この沈黙交易は世界中にみられます。スカンジナビア半島、シベリア、アフガニスタン、エジプト、ギニア、コンゴ、セイロン島、インド洋諸島、インドネシア、ニカラグア、ペルー、メキシコ、アラスカ、カナダニューファンドランド島など 沈黙交易は言葉の通じない相手にだけと思われがちですが 実際には言葉の通じる集団間でも行われていました。
つまり 自分達以外の外部の人々は 悪魔 疫病者 死者という忌み嫌うカオスを帯びた存在だった訳です。栗本慎一郎【経済人類学者】は沈黙交易は『沈黙』というより 接触を嫌うことに本質をもつ『触接忌避交易』であるとしています。【アイヌの文化より】
このアイヌ同士【言葉は通じる相手】でも 決して直接接触しない沈黙交易は コロボックル伝説の『声は聞こえるが決して姿を見せない』『驚かすと船もろとも姿をくらます』『物を乞うと窓から手を出し物を与える』などのコロポックル伝説に出てくる小人と特徴がソックリと云えます。
また、アイヌ人は縄文的要素を色濃く残した人々であるのは以前書きました。 つまり この古来の沈黙交易という風習は 実は縄文人も持っていたのでは?と考えられます。北海道アイヌは10世紀以降 和人との交易を通じ 古来からの縄文的風習や文化も 熊野修験者の和人に影響されて忘れ去られてしまいました。しかし 北千島アイヌは以前の縄文人の風習を近年まで残していて 縄文的風習を忘れた道東アイヌは それを見て異形の人々、妖怪のようだと思ったに違いありません。
北千島のアイヌは 縄文人の風習と文化を道東アイヌより色濃く残した最古の縄文系の人々と言えます。そして その北千島アイヌの人々こそが『コロポックル』のモデルなのではないでしょうか?
つまり コロポックル伝説とは 熊野修験者の和人が伝えた『#源義経伝説 』と縄文の風習を持った異形の人々『北千島アイヌ』が交わり出来た伝説だったのです。