もふもふ大好き 怪盗仏陀

のんびりと更新します。

私は 北朝鮮に行ったことがあります。


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わたしは、95年に北朝鮮に行ったことがあります。「アントニオ猪木の平和の祭典」という歴史的なプロレスイベントでした。北朝鮮新日本プロレスがプロレスや、更には祭典らしく歌手や漫才師などと帯同し舞台ショーをする内容でした。

 

 

当時の北朝鮮は、朝鮮総連が中心となり、国を上げて観光客誘致をしていたので、私たちは北朝鮮に行くことにあまり抵抗はありませんでした。 しかし、情勢はあまり良くありません。93年には、日本海に向けた初の飛翔体、北朝鮮がミサイル実験を実施していたので、日本の緊張感は高まっていました。また、94年には、金日成主席【金正恩の祖父】が亡くなり、北朝鮮の情勢が不透明な状況でもありました。


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【あちらでは北朝鮮というのはタブーで共和国と言うようにと 北側からレクチャーを貰いましたが…】

 

まだ この頃は外務省から渡航自粛の要請はなかったと記憶しています。【アントニオ猪木の平和の祭典は、二度おこなっていたようで、二度目には外務省からの渡航自粛の要請があったと聞いています】

 

朝鮮総連は、ここぞとばかりに北朝鮮ツアーを実施、日本からの観光客を大々的に募集していました。更に初の試みの特別処置として北朝鮮は、日本のマスコミを含め、海外の西側マスコミの入国を許可しました。マスコミだけで数百人。海外からのマスコミもたくさんいました。

 

記憶にあるのは、テレビ朝日報道ステーションの前身、ニュースステーション小宮悦子さんを近くで見たことでした。日本の各社が来ていたらしく、帰国して翌日には、北朝鮮の特集を全局で組んでいました。

 

マスコミや観光客、あとで紹介するある一部の学生さん等は、新潟から北朝鮮万景峰号で入国したそうです。私たちは、新日本がチャーターした北朝鮮高麗航空の飛行機で名古屋空港から北朝鮮に入国しました。


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パスポートを1ヶ月前に朝鮮総連に送り、名古屋空港でパスポートが帰ってきます。パスポートがなかった時期が長かったので、なかなかの緊張感です。貰ったパスポートには 白い紙が一枚貼られていました。その白い紙に 出国手続きの判を押します。平壌空港で 入国の判をその白い紙の裏に押します。そして、帰国後に税関がその紙を取ります。 結果、パスポートには北朝鮮に行った形跡はなくなるという仕組みです。北朝鮮と日本では国交がないので、そのようなシステムをとっていたのでしょう。


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高麗航空の旅客機に乗った瞬間、既に北朝鮮です。 先ず 驚いたのは旅客機の椅子の前に付いている棚が木製で、荷物入れの部分からガタガタと音がしていた事でした。 この飛行機大丈夫か と感じながら平壌空港に着陸しました。スチュワーデスがとても綺麗な女性たちだったのが救いでした。名古屋から ほんの数時間、、国内旅行程度の空の旅だったと記憶しています。

 

平壌空港に無事到着して、私たちは直ぐに旅客機から降りられるものだと思っていましたが、旅客機が着陸してから 延々と空港の滑走路を旅客機が走ります。時間はあまり覚えてないですが、結構長く感じました。 そして、更に驚いたのは、そのまま その旅客機が地下に入ってしまいます。なんと滑走路が地下に続いていました。

 

しばらく、旅客機は地下滑走路を走り地上に出てきます。そこは、ただっ広い駐機場【エプロン】で、日本の離島の空港のような、小ぢんまりとした平壌のエアポートターミナルでした。

 

旅客機のタラップを降り、ターミナルまで歩いて向かいます。ターミナルの正面の壁には 金日成金正日肖像画が掲げられていました。荷物の中身を全て出し入国チェックが始まります。ここで問題が発生しました。私の荷物に、今週発売の週刊プレイボーイを入れていたのを忘れていて、そのまま入国していたのです。たまたま、その中身の連載が好きで愛読していた雑誌です。北朝鮮の軍人の担当官が週刊プレイボーイを取り上げ、この雑誌は没収すると 通訳を介して私に告げました。 「あぁ はい、どうぞ」機関銃を持っていた北朝鮮軍人の担当官と対峙していたので、内心ドキドキでした。


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新日本プロレスの選手たちも一緒の旅客機だったので、結構な時間が掛かりました。無事、全てが終わり、私たちは北朝鮮側の担当の通訳を紹介されます。日本人三人に対し一人の通訳が付きます。私たちのグループは六人だったので、二人の通訳が付きました。 あとで聞いたら、マスコミや観光客には 15人に一人の通訳を付けていたそうです。

 

更に ここで驚いたのは、空港の出口前に黒塗りのベンツがズラリと並んでいて 私たちを迎えていました。新日本プロレス選手、招聘選手、女子プロ選手、関係者、スタッフ、そして私たちと全員、黒塗りのベンツに乗り込み、平壌空港を離れ、平壌の街に向かいました。


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北斗と健介の馴れ初めは 北朝鮮の平和の祭典でした。北朝鮮人が多数踊る広場で健介が見初めたと聞いてます。後で聞いたら北朝鮮人の唯一の男女の出会いの場だそうです。私も参加しましたが、私の周りはロシア人ばかりでした。ロシア人も北朝鮮に住んでいるんだなと驚きました。参加したプロレスラーは、ほぼみんな酔いながら踊ってました。

 

1995年4月24日、プロレスイベント開催の4日前です。

 

 

最近のツイッター内では、北朝鮮に行ったという事実だけで、工作員だとレッテルを貼り誹謗中傷をする方が見受けられます。問題は、北朝鮮に行ったことではなく、何の目的で行ったのかだと思います。 北朝鮮に行っただけで非難されるのは、甚だ遺憾であります。

 

時事問題アカウント…@qzWC2q2L8Qwau2m

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よろしくお願いします。

 

ブル中野が明かす北朝鮮

https://www.excite.co.jp/news/article/Shueishapn_20121123_15521/

北朝鮮 平和の祭典を仕掛けた 永島勝司氏。

https://sp.ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar532691