もふもふ大好き 怪盗仏陀

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夕張市破綻の要因になったこと ③


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夕張炭鉱のピークは1960年。人口は11万6908人を抱えるなど発展したが、戦後復興を支えてきた炭鉱は60年代以降バタバタと閉山していく。93人の犠牲者を出した北炭夕張新鉱の閉山で、市は大打撃を被った。北炭は会社更生法の適応を受け、市の債権14億313万円のうち、わずか1億5781万円しか支払わなかった。市は借金を踏み倒されただけでなく、26億円で北炭保有の土地を購入した。閉山後の処理の総額は、580億5000万円(1979~94年度)3割の185億3000万円は国や道の支出金だった。夕張の炭鉱は二つに集約された。北炭(三井系)と三菱系、両社の社風の違いから来る市民意識の違いも注目すべきだ。


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三菱大夕張炭鉱(1929年~1990年閉山)


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北炭夕張新鉱(1975年~1982年閉山)前身の北炭夕張炭鉱は1977年に閉山。1981年10月 16日、北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生。小学生時代の友人が亡くなっていたことを数年後に知った。

 

北炭は市全域にあるが、三菱はシューパロ湖方面の大夕張、南部地区にあった。独自に大夕張鉄道を走らせ、町は不夜城ように輝いていた。同じ夕張だが全く別々の文化をはぐくんだ。三菱の人は 夕張に殆んど行かなく、清水沢周辺の飲み屋街に集まっていた。同じ夕張市民だが「夕張に行ってくる」と表現していた。「北炭と三菱が一緒に飲むことはなかったな」炭鉱事故が発生しても系列が違うと救助に向かうことはなかった。祭りも行事も違う。校内の器具の名前も違う。水道も独自に整備しているため味も違う。配管の規格も違っていた。「組織の三菱、和の北炭」「北炭はルーズで三菱は厳しい」「三菱は三菱商人気質で一円に対しても厳しく、「ケチ菱」と言われた。北炭はどんぶり勘定だった」

夕張の撤退の仕方も違っていた。北炭が倒産して借金を踏み倒して出ていったのに対して、三菱は計画的に撤退した。三菱は閉山にあたり、希望者全員の雇用先を確保しただけではなく、市に10億円を寄付していた。



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空き家が雪の重みで崩壊する

 

「夕張がやり直せるとしたら、最後の炭鉱が閉山した1990年。炭鉱関係の交付金が激減するのに、それでも観光に投資を続けた。あのころ財政再建団体になっていたら、もう再建は終わっていたのでは…」

 

 

夕張は国や道の交付金を使って観光施設を建設していました。


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石炭の歴史村(1980~2006年、自己破産。負債総額は約 74億8171万円で破産時、従業員は38人だった)

 

●【農林水産省】( )は全体事業費
①ユーパロの湯
5億1900万円(11億6000万円)
めろん
3億2000万円(6億4100万円)
③紅葉山工場
2億1200万円(4億2100万円)
●【経済産業省
パークゴルフ
700万円(9800万円)
⑤夕張鹿鳴館
4000万円(6600万円)
⑥生活歴史館
2900万円(2億4700万円)
⑦シネマのバラード
2億3000万円(6億3800万円)
●【国土交通省
⑧石炭の歴史村公園
8億3300万円(34億200万円)
⑨グリーン大劇場
6300万円(1億2600万円)
⑩キャンプ場
4500万円(9000万円)
⑪歴史村内トイレ
1100万円(1億3800万円)
⑫郷愁の丘ミュージアム公園
1億5100万円(4億2300万円)
⑬センターハウス
1億5800万円(3億3800万円)
北の零年 希望の杜
500万円(3600万円)
●【北海道補助金
パークゴルフ
4200万円(9800万円)
②炭鉱生活館
3500万円(2億400万円)
めろん城公園
8800万円(2億5500万円)
④ロボット館
7000万円(8億3600万円)
⑤世界の動物館
1000万円(3億6900万円)


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夕張市役所

 

2007年6月15日、夕張問題の集中審議が行われた政府の地方分権改革推進委員会に作家の猪瀬直樹委員がいた。1979年から2005年度にかけて、夕張市財政破綻の要因となった観光事業に施設の整備費だけで147億3900万円が投じられ、このうち国の補助は21億8900万円だったことが報告された。

 

委員会では、国のチェックの甘さを問う指摘が相次ぎ、国側は「施設が作られたどうかはチェックするが、効果を検証する制度にはなっていなかった」と釈明した。猪瀬直樹委員は「補助金の出しっぱなしじゃないか」と痛烈に批判した。

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2007年、地方分権改革推進委員会猪瀬直樹委員(後の東京都知事、2012年12月都知事選当選)

 

夕張市が90年度、積極的な観光施策を評価され、自治相から「まちづくりのモデル」表彰を受けたことについても「国が煽り立てたのではないか」と指摘。総務省は「表彰後、収支計画が狂ったということ」と苦しい弁明をしていた。

 

助役から中田市長の肝いりで市長になっていた後藤夕張市長は、次期市長選には出馬しないことを宣言し、市民の批判を浴びていた。


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後藤健二夕張市長(2000年に夕張市助役に就任。2003年~2007年任期満了で市長選の出馬を断念、政界を引退した。財政再建団体に移行すること決定した市長)

 

夕張観光開発の破産

http://blog.livedoor.jp/zikohasansoudan/archives/50561792.html

 

次の夕張市長は民間出身の藤倉肇氏でした。故中田鉄治市長や後藤健二市長ら市職労出身の市長が続いた夕張で、民間出身者は48年ぶりでした。