もふもふ大好き 怪盗仏陀

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「秋葉原」と「秋葉の原」



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秋葉原 … 電気街でオタクの聖地、そして アイドルの聖地。…世界的にも有名な秋葉原はそんな街です。 江戸時代、この周辺は『佐久間河岸』と呼ばれていました。 『佐久間河岸』は材木と薪 炭などの集積地で 江戸のエネルギーセンター 問屋街でした。

 

この地から火災が起きると 神田、日本橋、京橋、築地海岸まで 一気に炎が広がり大火になりました。それが 江戸時代 度々あったので いつしか『佐久間町~佐久間河岸』迄を『アクマ町』と江戸市民は呼んだそうです。


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左中央の広場が「秋葉の原」、佐久間町、佐久間河岸は右中央です。火災の緩衝地帯として  秋葉の原が作られました。

 

明治になっても 失火は続き 現在のJR秋葉原駅の面積分が焼失しました。明治政府は ここを火除地(防火空地)とし 鎮火の神様【鎮火神社として 静岡県秋葉大権現の分霊で江戸城秋葉山の火防 ヒブセの神様を移して祀った】 そして 市民はこの場所を『アキバの原』と呼び 行楽地にしました。


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秋葉神社

 

明治24年(1890) ここに上野の貨物駅が開業し 神社は 現在の台東区松ヶ谷に移転して 秋葉アキバ神社となっています。

 

 

昭和7年(1932)には 御茶ノ水駅と両国駅間が総武線で結ばれます。その時 山手線と連絡できる秋葉原駅も同時に開業しました。


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当時の神田っ子は この『アキハバラ』という呼び名に 大変抵抗し…ここはやはり 鎮火神社を意味する『アキバノハラ』を主張しました。しかし 当時の鉄道省に負けてしまい 現在に至ります。 これは 当時の鉄道省の役人…明治政府の影響を強く受けていた昭和初期の鉄道省の役人は九州人で読み間違えて名付けたのではと思います。

 

【九州地方 西日本では『原』を濁って読むのが一般的です。バル、バラ、 関東人は ハラ、ワラ】


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終戦アメリカ占領軍は 昭和26年(1951)12月かぎりとして 都内の露天撤廃命令を出しました。 その時 神保町の本屋街の先、 駿河台下から淡路町、須田町の靖国通り沿いに並んでいた 主にラジオ部品をメインに扱っている露店を 秋葉原駅のガード下に全て収容。それが世界的にも有名なアキハ街の原形です。



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現在では『秋葉原アキハバラ』の事を『秋葉…アキバ』と省略して呼びます。秋葉 アキバは鎮火の神様のこと…。当時の鉄道省が名付けた駅名『アキハバラ』より 従来の呼び名『アキバ』が定着しているのは とても面白い現象だと思います。