北海道夕張市が破綻した理由 ①
夕張の話をします。
2006年7月、夕張は財政破綻しました。
79年に市長に当選した市役所職員労働組合委員長出身の故・中田鉄治元市長は
「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズを掲げテーマパーク「石炭の歴史村」の開業、ホテルやスキー場の改修、メロン酒や長いも焼酎などの製造など、矢継ぎ早に観光路線を推し進めていった。これらは全国的にも脚光を浴び地方活性化のモデルとして本やマスコミなどで取り上げられることも多かったが、観光も年々陰りを見せ巨額の債務が積み重なっていた。その原因を作った中田元市長は、2003年4月6期24年で退任し、その年の9月に亡くなる。
夕張の財政が厳しいのは、その10年前から…噂はどこからかか聞こえてきました。
「夕張市の借金は結構あるみたいだ」
しかし、市の決済は毎年黒字でした。
「なんだ、ただの噂じゃないか」
「また反市長の噂話か」
中田市長は 79年に当選し92年まで無投票当選でした。92年の選挙では 夕張の南側住人の会社社長と争い、僅か6%の差で当選しました。この市長選は、長年の中田ワンマン市政にノーと言えない空気に風穴を開けた選挙でした。この市長選の時はあからさまな嫌がらせなどがあったと聞いています。以来、夕張は市長選のたびに北側の住人と南側の住人が争っています。
【夕張市は南北に長い街です。それぞれの街との間には山や峠や川などで区切られ街の境を作っています。北側は昔からの炭鉱町の面影を残す地域。南側は夕張メロンの産地】
北側の住人は親中田市長派。南側の住人は夕張農協を筆頭に反中田市長派でした。【中田市長が市の助役だった頃、夕張メロンを開発中だった農協は、市に援助をお願いしたが、中田助役は断ったのがきっかけ】
当選した中田市長の市政は、観光施設を全て北側に建設する。南側には企業誘致の整地をし、新たなバイパス道路を作るということでした。
南側は炭鉱住宅の多い地域で、人口減少が90年代から続いていました。夕張市役所がある北側が夕張の中心地だったので【夕張炭鉱があった地】夕張の人口は北側に片寄っていました。とはいえ、夕張の基幹産業の炭鉱は既に無く、2000年代には北側住人の生業は市役所の仕事がメインとなっていました。
「中田市長が私たちの仕事を作ってくれる」 「中田市長は中央に顔が利く」「中田さんは国からお金を引っ張ってきてくれる」
中田市長が市長選に出るたびに、巷で聞こえてきました。
中田市長は「国は夕張を絶対に潰さない。夕張は日本を支えた町なんだ」と各地を回り市民を説得していました。
1981年10月16日 午後0時40分。消防署のサイレンが鳴り響き夕張の街は騒然となりました。夕張でただ一つ残った 北炭夕張新炭鉱(夕張新鉱)のガス爆発事故です。93人が犠牲になり夕張の炭鉱事故では戦後3番目の規模でした。夕張新鉱は、夕張の南側にありました。国内最高品質の原料炭が埋まり「東洋一の炭鉱」と言われていました。高純度の原料炭なので採掘には細心の注意が必要でした。
事故から7日後、坑内に残された59人の家族の同意を得て注水が始まった。すでに坑道の通気は事故当日に遮断されている。坑内に注水した日、街中にサイレンが鳴り響いた。
そして、翌1982年10月 北炭夕張新鉱は倒産します。
北海道新聞は市民に夕張が破綻した理由は…とインタビューしています。先ず、夕張市民は中田市長のワンマンをあげています。
①夕張中田市長の責任
「中田市長は借金できるのも実力と方言している」「観光のやり過ぎ、収入、支出を考えず借りるだけ借りた」「谷間に観覧車はないでしょう」
②市役所の責任「臨時職員で働いていたが、ボーナスも出るし残業もないから、臨時職員はずっとやめない。20年以上やっている人もいた。10年前は職員の1/3、臨時職員が100人はいた」
③第三セクターの責任「3セクで働く社員なのに、自分を職員と呼ぶ。役所におんぶに抱っこで破綻の原因を作った」
④市民の責任「炭鉱の町は、衣食住を会社にすがって生きる風土があった。炭鉱が無くなってすがりついたのは行政」「市民運動も起こりにくい土地だった」「閉山で、みんな弱気になって市長にすがりついた」「原因は 炭鉱時代の何でもタダみたいな空気。払わなくて済むものなら払わないという人が多かった」
⑤北炭の責任「北炭が倒産し 施設や住宅、福利厚生を市に丸投げしたから夕張に借金が残った」「北炭は ずらっとあった長屋の住宅を市に押しつけた。市は後始末で大変だった」
⑥国の責任「国は安い石炭を外国から買い入れ 炭鉱の町を潰していた」「国の指導力の無さ。 石炭産業が衰退する中、国は石油ショックでは石炭を見直してみるなど、政策が右往左往していた」
⑦市議会、市議たちの責任は重大だ。
「中田市長に何も言えない空気があった」
「行政が出す数字が、全く違っていた」
中田市長の恩給に預かっていた市民は…
「いつまでも過去を振り返っても仕方ない。大切なのはこれからの夕張を考えること」「マスコミは暗いニュースを流し続けている。夕張のイメージを悪くしている」
と 続きます。
夕張の市民はどれだけの借金があるのか 全くわかりませんでした。夕張が発表する毎年の決済では黒字なので「 噂 」程度と思う市民もいました。 それが マスコミから突然の「夕張市 一時借入金300億円、負債総額500億円、道、指導強化へ」「地方財政制度 見直し必至」とニュースが流れ、その数ヶ月後、夕張市は財政再建団体に移行することが、中田市長から代替えした後藤夕張市長から発表されました。
なぜ 黒字だった夕張市が 突然 財政破綻したのか? 夕張は、不適切な会計処理をしていました。普通会計から観光事業会計に資金を流し、それを第三セクターの赤字補てんにつかう。普通会計が財源を調達するのは一時借入金だ。一時借入金は一時的に資金不足が生じた場合に借りるもので、年度内に返済しなければならない【自治用語辞典】一時借入金を財源するのは、そもそもダメですが、年度末の会計締め切りを出納整理期間を利用して、前年度と今年度のどちらにも該当する「抜け穴」として使っていました。
夕張市の債務は2005年度の決算で、合計632億4000万円もの額になっていました。
さらに北海道庁にも隠したい事実がありました。空知地方の旧産炭地域5市1町(夕張、芦別、赤平、三笠、歌志内、上砂川)が、地方自治法で定められた道知事の許可を得ない「ヤミ起債」を発行し、閉山後の地域振興を支援する「空知産炭地域総合発展基金」が引き受けていました。引き受け額は、2006年3月で71億4500万円にのぼっていました。
北海道新聞は、当時、財政破綻した夕張の再建終了予定の「18年後」について夕張市民に聞いています。
「全くつかめない。想像できない」
「再び栄えていると思う。もう落ちない」
「何もなくなって、山だけ残る」
「夕張は地図上でしか存在しなくなる」
「もう年だから町がどうなるか興味ない」
「今でさえ大変だから、前途多難」
「考えられない。一年後どうなるかも」
「人口は今の半分だね」
「人口は5000人位か。益々暮らし辛くなる」
「消滅することはないと思うが」
「再建計画が行き詰まっているんでしょう」
「大きく変わることはないと思うが」
「夕張はなくなっているかもしれない」
「生活の場として残れるか危うい」
「今 生きるのに懸命だから、わからない」
「借金は返せていない」
「役所任せの市民はいなくなると思う」
「町は変わらない」
「人口減少で借金返済はできない」
「中心部に集約された町になるかな」
「18年間返済計画は無理」
「想像もつかない」
「18年間 持つかな」
「すごく 人が減っている」
「今より酷くなっている」
「借金はなくならない。18年では無理」
「200軒あるメロン農家も減るだろう」
「良くなるとは想像できない」
「新しい観光地になっているんじゃないか」
「みんな死んでいるよ(高齢者が多く)」
「負債が残って返済期間が延長になる」
「だれもいないんじゃないか」
「人口が5000人いればいいほう」
訂正…下水道料金(20m3を使用した場合の月額)夕張市:5105円
水道料金(口径20mmで20m3の月額)夕張市:6978円
住民票交付手数料 500円
夕張の人口は年々 300人以上減少しています。現在の夕張の人口は、2021年(令和三年)2月で、7386名です。
夕張借金時計
https://www.city.yubari.lg.jp/syakintokei/index.html
続く