YMO と サディスティック・ミカ・バンド
YMO イエロー・マジック・オーケストラ…
1978年に日本でレコード製作後、ライブをしたようだが直ぐにアメリカで再デビュー、海外から日本へ逆輸入された形でヒットし大人気となった。テクノ音楽のパイオニア的存在のグループです。
メンバーは、はっぴいえんどの 細野晴臣。サディスティック・ミカ・バンドの高橋幸宏。スタジオミュージシャンとして大滝詠一や山下達郎のアルバムに参加していた坂本龍一の三人。1979年8月の 米・LA ライブで サディスティクの矢野顕子さんも出演しています。
私は海外のラジオでYMOを知りました。確か、Radio Australia でした。最初は海外のグループと思っていましたが、その後同じ曲を日本のラジオで聞いて日本のグループだった事を知りました。
舞台のど真ん中に鎮座している 配線だらけの機械は 通称「タンス」と云われた シンセサイザー のモーグ。当時の値段で800万円。最新のシンセサイザーです。扱っているのは 松武秀樹さん。YMO の独特な音色は全て 彼のプログラミングです。
1978年、日本は映画 「サタデーナイトフィーバー 1977年制作」の大ヒットもあり ディスコブームでした。 そのディスコ曲として YMOのライディーンが流行りました。
以前、パフューム好きの若者が「テクノが好きなので…」と言って来たので「あぁ YMOね」と返すと「何ですか? パフュームですよ」と切り返してきたので、YMOのウンチクをたっぷりと聞かせてやりました。
https://youtu.be/1WTy2yqKI4w
奇抜なジャケットの「増殖」… 当時、深夜ラジオ番組で流行ったスネークマンショーのコント 「警察だ!」です。
スネークマンショー とは wikiでは…1976年末頃、伊武雅刀はラジオで知り合った小林克也からラジオ番組への出演を持ちかけられる。これがラジオ大阪の桑原茂一プロデュースの番組「スネークマンショー」でした。
この中での小林との掛け合いによる過激で当時のタブーギリギリの内容のコントがリスナーや放送業界内でも評判となりました。この番組は後にTBSラジオほかJRN系列で全国ネットとなり、さらにYMOによってコントがレコードに収録されるに及んで音楽業界にまで一気に知名度が上がったとの事です。
若者に大人気のラジオ番組でした。
他には、落語家が中国で落語を披露するコント「林家万平」が収録されています。
先ずは ライディーンという名前ですが、当時流行っていた アニメ「勇者 ライディーン」と 細野晴臣さんが考えていた曲のイメージ 「雷雷」を合わせて「ライディーン」としました。
ライディーンは 和風ディスコ音楽として作った曲です。高橋幸宏さんは以前から 和風のディスコミュージックの構想を持っていたようです。
あの時代、映画「スターウォーズ 1977年制作」も公開されて大ヒットしていました。巷には電子音があちこちで聞こえていました。
曲中に流れている場面は 丁度 流行っていた「スターウォーズ」のシーンを模したと言っています。
この曲を作るに当たって、ある映画にインスピレーションを受けて作曲したそうです。
その映画は、黒澤明監督の「七人の侍」でした。あの勇ましい挿入曲をテクノ調でディスコミュージック風に作曲したのが この「ライディーン」でした。
「七人の侍」から貰った時代劇のイメージに欠かせないのは馬です。なので、ライディーンの曲のリズムを馬の駆けるリズムにしています。更に、曲中には馬の駆ける音も入っています。冒頭のリズムは 馬が駆ける音をシンセで模しています。
YMO と云えば 演奏中にベッドホンをしてカッコいい姿をしていますが、このベッドホンは、演奏でもとても大切なモノで、シンセサイザーのモーグから発生するクリック音を聞きながら、高橋さんがドラムを叩き二人も同調して演奏していました。
想像して下さい。シンセサイザー モーグはコンピューターです。それを生演奏の為に ライブステージに上げて演奏しています。
コンピューターですから 当然 熱に弱く、うしろは扇風機の山が出来るくらいになっていました。当時は マイクロコンピューター、PCでは当然ないからね。制御していたのはローランドのMC8とのことです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89_MC-8
演奏中にシンセサイザー「モーグ」を冷やさないとコンピューターが暴走し停止してしまうというメチャクチャ危険なライブをしていた事になります。
1980年12月27日 武道館ライブ
サディスティクミカバンド…
♪”タイムマシンにお願い ”
YMO を出したら サディスティクミカバンドを紹介しないといけません。 最近、木村カエラさんをボーカルに迎えて 再再再再再結成したので、この曲は平成生まれの方々も知っていると思いますが、この方が初期ボーカルの 加藤ミカさんです。
結成は、1972年。メンバーが、当時のトップミュージシャンを揃えての演奏なので彼らの曲を聞いていると、その時代の最先端を走る音楽に出会えると音楽に詳しい友人が言っていました。
1980年代後半に、二代目ボーカルの「桐島かれん」にバトンタッチしています。
桐島かれんさんは、とても可愛いモデルさんで資生堂などCM界で人気モデルさんでした。まさか ミカバンドに入るなんて 当時は驚きでした。 私の巷では、初代のミカの迫力と 二代目のかれんの可愛さを比較し どちらが良かったのか激論していました。
ミカバンドのメンバーは時期により、様々な形態に変わる特殊なバンドでした。ギタリストの高中正義。ギタリストChar等。どちらも 日本で指折りのトップギタリストです。
①第1期(1971年11月 - 1972年9月) シングル「サイクリング・ブギ」
加藤和彦・ミカ・つのだひろ
https://youtu.be/Q55kFFJetig【with 霧島カレン】
②第2期(1972年9月 - 1973年10月) アルバム『サディスティック・ミカ・バンド』
③第3期(1973年11月) シングル「ハイ・ベイビー」
④第4期(1973年末) この時期の音源なし
⑤第5期(1974年2月頃 - 1975年6月) アルバム『黒船』
⑥第6期(1975年6月頃) この時期の音源なし(ただし、テレビ出演の映像あり)
⑦第7期(1975年7月~1975年11月) アルバム『HOT! MENU』『ライブ・イン・ロンドン』
⑧1975年に リーダー加藤和彦と ボーカルの加藤ミカさんが離婚。 バンドは解散になった。
⑨1985年、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏、後藤次利に坂本龍一、松任谷由実【1,5代目 ボーカル】「Sadistic Yuming Band」としてライブをする。
⑩1989年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に桐島かれん【 二代目ボーカル】を加えて Sadistic Mica Band 【Mika→Micaに変更】
⑪2006年、加藤和彦、高中正義、小原礼、高橋幸宏の4人に木村カエラ【三代目ボーカル】Sadistic Mica Band Revisited
加藤和彦さんは フォーク村にも出演してました。 後半は サディスティクという名前で活動していました。