もふもふ大好き 怪盗仏陀

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「夕張川と夕張岳」は 宝の宝庫でした



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北海道の千歳空港は広大な石狩平野にあります。千歳空港を降り立ち東に進むと大きな農地が広がる空知平野に出ます。

 

米国風の農場のような佇まいのファーム牧場が幾つもあり、遠くに雄大な山脈が見えます。そのファームの地からは綺麗な北の大地の風景が見渡せます。

 

更に 東の山脈に向かって走ると、山間の狭い地に流れる川と合流します。それが我が古里、夕張に流れる夕張川です。夕張はその川に沿って集落や街が形成されています。
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夕張川を遡ると、川の両岸が切り立った崖になります。奇岩が川を立ち防ぎ その地盤の割れ目に沿ってそれぞれ滝になって落ちている光景が見ることが出来ます。川は本流から河岸からと、いく筋にも滝になって落ちこみ、更に二本の支流の滝が本流に合流しています。f:id:mickymagicabc:20200706143644j:image

 

初めてその地を発見した、明治の探検家 松浦武四郎は、この地を神所(カムイコタン)と書き記しました。それが現在の「夕張・千鳥ヶ滝」です。


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松浦武四郎…初めて夕張川を上りこの地を世に知らせた著書「夕張日誌」を書いた人物、江戸時代末期から明治にかけて活躍しました】


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画面の左上の真っ白な山、これが北海道を代表する高山植物の宝庫。貴重な鉱物の宝庫の夕張岳です。 夕張川の源流となる標高1,668 mの山です。


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アイヌの話では、金銀財宝が眠る宝の山という伝説がある山です。松浦武四郎は この夕張岳を目指しました。武四郎の著書「夕張日誌」によると、武四郎が夕張川上流一体を探索したのは安政四年(1857年)7月のことでした。この地に詳しいアイヌ四名に案内されての旅だったようです。

 


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アイヌ達は 千鳥ヶ滝周辺を畏敬の地、カムイコタン(神の住む所)をとても敬っていました。去年まで石勝線が走っていて「滝の上駅」があった場所です。夕張川はこの辺りから急勾な谷間を流れ、次の地域の「滝の下駅」に流れていました。今ではダムになっていて形跡の影すら残っていません。恐らく幾つも険しい滝があって それまで人が入り込めない未開の地として残されていたのだと思われます。

 

【この滝の上から後に登場する清水沢までが、狭い地に一面メロン畑が広がる夕張メロンの産地です】


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夕張川を更に上流へ進むと、清水沢という地で川は本流と支流とで二つに分かれます。本流は夕張岳側の北西に向かい、支流は夕張市側の北東に向かいます。そこは 後に夕張が炭鉱の街として栄える大発見があった場所です。

1888年、二十四尺(約7m)の世界一の「24尺大露頭炭(天然記念物)」が発見されました。米国の鉱山学者ベンジャミン・スミス・ライマンが1876年にこの地を調査した時の助手であった坂市太郎が発見しました】


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本流から夕張岳に向かう途中に夕張川を塞き止めたダムがあります。清水沢ダムです。炭鉱の電源を確保するために作られた古いダムです。そこから夕張川はダムに塞き止められシューパロ湖と名前が変わります。


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【ダムから朽ちた清水沢火力発電所が見えます。昔は このシューパロ湖で花火大会があり 地元の会社の社長さんたちが、それぞれ提供する花火の大きさを競ってました】

 

更に その先に道内一大きなダムが完成しました。それがシューパロダムです。計画から30年、2015年に完成した夕張の救世主のダムです。シューパロダムが完成して、やっと夕張の莫大な赤字が黒字に向けて動き出しました。   

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その新しいダム湖に沈んだ川があります。それが伝説の黄金の川、シューパロ川です。


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夕張川周辺は 古くから砂金が採れる川として知られていたようです。江戸時代の享保二年(1717年)幕府の蝦夷地巡見使一行によって編纂された「松前蝦夷記」には砂金山として「ゆうはり(夕張)」の地名が明確に記されています。
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北海道の砂金山の開発は17世紀前半から始まりました。産出する砂金は質量ともに本州を遥かに凌くものでした。明治以前、砂金採取が最も盛んに行われたのは寛永年間から寛文年間の頃でした。(1624年~1674年、その後 幕府は蝦夷地の砂金採取を禁止にしています)

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日高地方から沙流川【サル川】に沿って山越えしてきた砂金採取者たちが夕張砂金山を発見したと云われています。夕張川周辺で集められた砂金は、現在の新夕張(旧紅葉山)、滝ノ上付近で最初に発見されたという可能性が強いと云われます。周辺の滝の沢では、長大な砂金採取跡が残されています。

 

松浦武四郎が夕張岳を目指し夕張川周辺を探検してから、34年後の明治24年には新夕張(旧紅葉山)周辺は、道内一の砂金採取の中心地となっていました。


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砂金採取は川原の砂礫層に含まれている粒状の自然金を掘り出すので、どんな場所も数年で掘り尽くされてしまいます。人々は金を求めて上流へ上流へと夕張川を登っていきました。

明治20年代には夕張岳周辺が採取の中心地になります。明治31年頃、夕張岳山麓には百余名の砂金取りが入っていて、周辺に出来た村落では賭博の開帳まで盛んでした。

しかし、採金量については、どの時代でもどの地方でも極秘とされているのが普通で、夕張砂金についても正確な資料や記録は残っていません。


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明治33年以降、北見枝幸で一大砂金山が発見され、全国的なセンセーショナルを起こしました。良質の砂金鉱区であったために、空前のゴールドラッシュが起こります。北見枝幸では 坊主まで袈裟のまま 川に入り金を採取していたという逸話が残っています。

夕張の砂金は一時、人々から忘れられてしまいます。

 

ところが再び夕張川の砂金にスポットが当たる時代が来ます。夕張川の上流域のシューパロ川の砂白金【プラチナ】が俄然注目され、買い上げ価格が急騰し始めていたのです。シューパロ川の支流からは 続々と砂白金が採取されていました。この地域では 金が4割、白金6割と たくさんの砂白金が産出されていました。当時は 金より白金の方が価値がありました。


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【シューパロ川の支流には アンモナイトの化石が至るところに転がっているようで、私も 何個もアンモナイトの化石を頂いて持っていました】


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プラチナは、日本でこの地域でしか産出しない貴重な鉱物でした。夕張は白金の産地でした。現在でも全国で発見されていません。

その後、第二次世界大戦中から戦後にかけて、多くの砂金採取者が夕張にやってきたと云います。シューパロ川の支流には 金無沢やカネオベッ(金がごちゃごちゃある川)、白金川等、金にまつわる地名があります。


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夕張川の砂金採取は昭和20年代に終わりましたが、今でも金銀財宝のロマンを求める人が砂金採取をしているようです。夕張川は時代を越えて人々を魅了しています。



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夕張岳を目指した探検家、松浦武四郎は 夕張岳のあまりの険しさに 登頂を断念したそうです。 今では 夕張岳の山頂まで登ることが出来ます。


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私も高校の頃に夕張岳の山頂に登り、その山頂で拾った小石は今でも大事にしています。