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「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ著


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ヘレン・ミアーズ 著
アメリカの鏡・日本」

 

日韓問題は歴史認識の相違です。私たちは戦後の第一級資料で 第二次世界大戦の真実を知りたいのですが、第一級資料だと言われ、東京裁判の資料を見せられても、米駐留軍GHQ勝戦国の立場で結審した裁判の内容証言では 『?』 と思ってしまう。勝てば官軍。インドのパール判事が言っていたように東京裁判は鼻から日本は戦争を起こした戦犯国と決めつけていた裁判だ。 そんななか、私は、昭和23年に米国で出版された ヘレン・ミアーズ女史【東洋文化史】の 一冊の本と出会った。

 

ヘレン・ミアーズ

1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。

昭和23年出版。出版当時マッカーサーにより邦訳出版が禁止された。

 

アメリカの鏡・日本」抜粋。


神道」と「天皇崇拝」は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表わすものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統をもっているのと同じ国民感情である。

 

伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡のときには、戦争計画への国民統合に利用される。しかし、伝統が戦争の大義なのではない。

ひとたび戦争が決定されると、伝統は防衛という名の戦争計画の背後に国民を統合するための手段となる。そうすることによって、為政者は複雑な戦争理由をわかりやすくするのである。

 

アメリカも戦争の後ろ盾に国民を統合するため、伝統を利用したのだが、とかくそれが忘れられがちだ。

 

私たちは民主主義とキリスト教の名のもとに戦った。「天皇制」と「神道」が本来、戦争を内包しているのに対して、民主主義とキリスト教は本来、平和であると私たちは主張する。

 

日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国旗に忠誠を誓う 」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。天皇は「われわれ天皇と国民……の結びつきは単に伝説と神話によるものではない」と宣言したが(引用者注:いわゆる「人間宣言」を指すと思われる)、日本人の立場からすれば、ごく当たり前のことを言ったにすぎない。

 

日本人が天皇を尊敬するのは、天皇が超自然的、超人間的存在であるからではない。長い歴史と伝統文化の表象としての制度を崇拝しているからである。日本の天皇は、アメリカの星条旗、あるいはアンクル・サムのようなシンボルなのだ。

 

私たちの国旗は軍事的象徴ではない。それと同じように、戦争がなければ、日本人にとって天皇は軍事的象徴ではなかった。 「天皇制 」と「国家神道 」は、私たちが民主的と呼ぶ世界のどの国でも、国の特性に応じてさまざまに現われる現象である。神話は日本人にとって民族主義 の象徴にすぎないのだが、私たちはその事実に目を閉じてきた。

 

心情的国家意識は戦争の大きな要因であると同時に、戦争遂行に必ずかかわってくるものである。それを問題にするなら、連合国も私たちも無罪とはいえない。私たちアメリカ人には統合の心情的象徴となる皇室はないが、私たちの民主主義同盟であるイギリスは王室をもっている。

 

第二次世界大戦前、イギリスの王族がイギリス外交への支持を求めて訪米したとき、アメリカの新聞、雑誌、政府指導者は彼らのことを、日本の天皇に対していったように、「恐るべき病根 」とはいわなかった。 〈中略〉私たちアメリカ人は、平時には、愛国心を当然のものとして表に出さない。

 

アメリカの歴史や国家に命を捧げた人に対する尊崇の念を表わす7月4日(独立記念日)とか戦没者追悼記念日(メモリアル・デー)以外は、愛国心を表に出して騒ぐ国民ではないが、戦争中は、私たちも国家神道を絶えず感情的に表現していたのである。

 

日本人を教育して心情的国家意識を捨てさせたいと思うなら、まず私たちの心情的国家意識を捨てるべきである。

 

アメリカの鏡・日本」 
ヘレン・ミアーズ著より

【昭和23年出版。出版当時、マッカーサー により邦訳出版が禁止された】