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アイヌが忌み嫌う死者の埋葬と遺骨問題


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写真は、樺太東海岸のアイ集落の長・バフンケ(日本語名・木村愛吉 1855〜1919?)。彼の遺骨は1936年に盗掘され北海道帝国大学に保管されていましたが、2018年7月に子孫に返還されました。

 

 

アイヌは変死、火事、災害を忌み嫌いました。北海道本島では 忌み嫌う事があるとケガレ祓い、悪魔祓いの行進呪術がありました。 記録では、関東大震災の際に東京の人々の為に、日高の平取町で行進呪術をしています。

 

行進呪術とは、、、

長老が先に進み 男達は刀を高々に右手で上げ、女達は杖を左手に持ち、唸り声のような呪声を発して足を踏み鳴らし 悪霊を威嚇するように行進します。

 

千島アイヌは 変死、火山、災害の時以外、外の世界にふれた者までおこなっていました。千島アイヌが恐れていたのは外の世界のケガレでした。

 

サハリンアイヌでは 変死者が出た場合、まず二、三人の男が刀を手にして隣の村へ向かいます。近づくと奇声を上げます。隣の村の者たちが出迎えます。知らせる者は 山での変死であれば 刀を山に向け、海に向けば海の変死であることが分かります。そののち直接面会し語り合ったと言います。

 

無言で変死を知らせるのは、言葉をかわすことによって変死のケガレがおよぶという観念がありました。また、村人に奇声を上げるのは 接触によってケガレがおよぶ観念からです。アイヌは言葉と接触でケガレが相手におよぶものであり、これを避けるためには「沈黙と非接触」が不可欠と考えていました。

 

アイヌは死者のケガレにたいする恐れを強く持っていました。墓穴を掘る作業はもっとも好まれない仕事です。墓穴を掘る男達の周りに女達は火を燃やします。これは、善神である火の神が死者のケガレを防いでくれるからです。墓穴を掘り上げると墓穴の足跡を霊力のあるヨモギのホウキで消します。これは 穴の底に足跡を残すと死者の世界に引きずりこまれないようにするためです。

 

更に、周辺にイマケという有毒の植物を撒き散らし ケガレを祓います。埋葬が終わると 参会者は決して振り向きません。墓から遠く離れた場所には ヨモギを持った老人が参会者の全身を祓い浄めます。(訂正 イマケ→イケマ)

http://www.ainu-museum.or.jp/siror/book/detail_sp.php?page=book&book_id=P0074

 

アイヌの墓には木柱を立てますが、それは日本の墓地でみられる墓標という意味ではなく、死者がその国に向かうとき手にする杖ということでした。

 

アイヌは埋葬が終われば二度と墓に詣でることはなく、木柱が倒れてもなおすことはありません。
アイヌには供養という観念はありません。死はケガレであるという強い概念があり、忌み嫌い沈黙と非接触を貫いてきました。

 

19世紀にアイヌ白人説が唱えられてきました。アイヌ白人説を唱えたのは、長崎のオランダ商館の医師で博物学者のシーボルトでした。これはヨーロッパ世界で大きな反響があり、イギリス、ロシア、オランダ、ドイツなど各国の博物館が積極的にアイヌ資料や骨格などの収集に乗り出しました。

 

その後、全国の大学の研究者が アイヌの骨を発掘し 様々なアイヌ資料を集めました。欧米では 真剣にアイヌ白人起源説を信じていた人々がいたようです。最終結果が出たのは 1960年でした。積極的なコーカソイド(白色人種)の根拠が見出ださなった為、アイヌモンゴロイド黄色人種)であると結論付けられました。

 

その時に 発掘された骨格は 日本全国の大学に 約1600体あるといわれています。アイヌは墓を盗掘され遺骨を盗まれたと言い アイヌ遺骨返還訴訟をして 一部返還されました。しかし、大多数がどこから発掘(盗掘)されたものか資料が無くわからないそうです。


1984年に作られた納骨堂には969体が治められています。遺骨へは毎年イチャルパとよばれる供養会が行われています。

 

先祖供養という日本人の古い観念を 現代のアイヌは取り入れています。そもそも アイヌのケガレの観念は日本の陰陽道修験道の影響か、あるいは それに伴う民間信仰からの影響と云われています。