mickyabc’s blog

有安杏果の卒業発言以来 疑心暗鬼になっているモノノフさん。 杏果の卒業と共に他界を考えている杏果推しさん。不仲説を信じているモノノフさん。 そんな方に是非読んで貰いたいと書きました。ももクロを他界する前に是非読んでください。よろしくお願いします。

現代日本人と縄文人の断絶はあったのか。

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東京に猫はどのくらいいるの?

東京都内にあるマンホールの蓋の枚数は?

この解答を出せる人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。以前、Googleの入社試験に出た質問です。 世の中にはこんな一見答えの導きようがないものでも 答えを導き出せる計算法があるのだそうです。

それは 「フェルミの推定法」 詳細は他に預けます。フェルミ推定で検索してね。

この「フェルミ推定」を使って 過去の日本列島の人口を導き出した学者がいました。それは 現代から旧石器時代末期までの人口です。

平成7年…12,557万人
昭和25年…8,390万人
大正9年…5,596万人
明治6年…3,330万人
1600年…1,227万人
1150年…692万人
900年…643万人
750年…559万人
弥生末期…220万人
弥生中期…59万人
縄文後期…16万人【一時期 8万人】
縄文中期…26万人
縄文早期…2万人
旧石器時代末期…約5000人

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これを見ると日本列島の人口は、弥生時代後半、江戸時代前期、明治期に急増した事が分かります。 それは、その時期に日本人の社会が大きく変革したことを物語っています。

縄文時代は 約11,000年間。 縄文中期と後期で 10万人 日本列島の人口が減っているのは 縄文海退に伴う気候変化、平均して3~4度の寒冷になったようです。それに伴い 遺跡規模の縮小や分布密度の低下が著しくなったようです。恐らく 九州南部で起きた 地球規模の喜界カルデラの大噴火等の天変地異も影響していたかもしれません。【詳細は当ブログで】


さて、注目すべきところは 弥生時代の人口増加です。縄文後期と弥生前期は重なる時期があるので 16万人から220万人の急上昇です。

弥生時代は 様々な説がありますが 700年~長くても1000年の間を言います。 この間で日本列島の人口の急上昇がありました。縄文後期~弥生中期で 43万人の人口増加です。


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この時代に日本列島で何があったのか?
3,000年~2,700年前 弥生時代が始まったと云われている時代です。 気候は寒冷化が進み 森林生態系も大きく変わって 食文化もそれに伴い変化したと思われます。この時期 縄文末期の人々の骨が 如実に地域変化が見受けられます。

縄文人の特徴の地域差が拡大した時期です。今までの縄文人は 1万年間 、期間差や地域差は余り見られず 全国から出土される縄文人の骨は均等でした。まさにステレオタイプ縄文人です。

骨は太く、顎がしっかりして、前歯は強制的に抜かれています。恐らく成人になる儀式で 前歯を抜いていたのでしょう。

それが この時期になると 弥生人みたいな縄文人縄文人みたいな弥生人と 地域によって骨の特徴が多種多様になっているようです。 ある学者は 急激な寒冷化で日本列島全土で民族大移動があったのでは という方もいらっしゃいます。


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弥生人に目を移すと、
縄文後期と弥生中期から出土する骨が極端に少ないようです。弥生式土器【現在は弥生土器】はたくさん見つかるのですが、これは 日本特有の酸性土壌が影響しているようです。縄文時代貝塚などから出土する骨がたくさんありました。貝塚なので貝のアルカリで 酸性土壌から骨を守っていました。 更に、弥生時代は土葬ではなく鳥葬や獣葬だったかもしれません。何れにしても 極端に少なくなります。


ただ唯一 たくさんの弥生人の骨が出土した地域があります。九州北部地方です。数は2000体以上、明らかに縄文人と特徴が違います。後の学者は この地域から出土する人骨を 弥生人として定義しました。これで 縄文人弥生人の違いが決定的になりました。

これは 現代日本人のルーツにも関わる大切な問題です。更に様々な学説が出て 著者によって違う解釈で書かれていました。

当時、九州北部地方は 朝鮮半島と近い為に 当然 交易もあり もしかすると同族だったかもしれません。地域的にも日本列島の玄関口とも言えます。果たして 彼らが弥生人のサンプルとして相応しいのか? 学者は 頭を悩まします。

その後 全国からその時代の人骨が出土しますが、前述のように 多種多様の弥生系縄文人、縄文系弥生人と ハッキリとした結果は得られませんでした。

時代は 今年に入ります。北海道の礼文島縄文人の人骨が発見されました。研究グループは、北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘されたおよそ3800年前の縄文人の女性の臼歯から核DNAを抽出し、最先端の装置を作って詳しく分析しました。

その結果、DNAの保存状態が極めてよく、30億対の塩基配列すべての遺伝情報を解読することができました。 世界初の画期的な発見です。

これで 現代人と縄文人はどれくらい違うのか。また 弥生人縄文人の断絶があったのかが確実に分かります。

結果は 現代日本人との共通性は 僅か10%、、弥生人【渡来民】と現代日本人との共通性 80%との結果になりました。
つまり、私達日本人【倭人】は より弥生人に近い人種だった訳です。

この発見は 2019年5月13日 NHKでニュースにもなりました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190513/amp/k10011914561000.html?__twitter_impression=true

これは以前 発表されていた 3000年前の福島県三貫地縄文人と現代本土日本人【倭人】とのDNAの共通性は12%だったとの整合性がとれたわけです。平成24年11月、東京・新宿区市谷加賀町二丁目遺跡で発見された縄文人との共通性は 約18%と云われています。


私達 日本人のルーツは 旧石器時代から脈々と続く縄文人より 縄文後期から何度も日本に渡来してきた民、弥生人の血を色濃く残した人種だったと言えます。


しかし、弥生人は 色々な地域から時期をずらし日本列島に来ている事が分かっています。弥生人と言っても多種多様の人種です。まだまだ 謎はつきそうにはありません。