もふもふ大好き 怪盗仏陀

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北方領土の話


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今から40年以上前 私は両親に連れられ 札幌テレビ塔に行きました。以前から何度か 札幌テレビ塔に登っていたようですが 私が記憶している最初の札幌の風景が この札幌テレビ塔の場面です。近く札幌冬季オリンピックが始まるようで 札幌も建設ラッシュで 大いに にぎわっていました。その辺りは おぼろげながら記憶しています。しかし、一番しっかり記憶しているのは 『札幌テレビ塔』のワンシーンです。


眼下に大通り公園を見下ろし 正面には藻岩山がある。 札幌オリンピックの大舞台 ジャンプ会場が出来る場所で 後に日の丸飛行隊と云われる日本勢が金、銀、銅メダル独占と大活躍した場所です。

当時は 札幌テレビ塔より 高い建物もなく 札幌の街が東西南北 全てを見渡すことが出来た素晴らしい風景です。


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私は そんなことを意識する訳もなく ただ 札幌テレビ塔の高さから見た札幌の街に圧倒されていました。



そこに 『北方領土は日本の領土です』という 小さなノートがありました。父は それを開いて署名していました。『何それ?』私は幼い声で 父に質問していたのでしょう。父は『お前もここに自分の名前を書きなさい』私は 父に促されるまま 拙い字で自分の名前を書きました。 私は初めて 父親の『大人の事情』に協力出来た事 それが とても嬉しく感じました。 そんな幼い記憶が 私の 札幌テレビ塔の最初の記憶、札幌の記憶です。 

 


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北方領土とは 歯舞諸島色丹島国後島択捉島の四島を意味します。 北海道民は 小学校の時に 四島の名前をソラで言えるように教育されていて 誰もが この四島を言えます。それだけ 北海道にとっても日本にとっても大切で身近な四島 それが『北方領土』でした。

一度 『北方領土』が返還されるかもしれないと 話題になった時があります。鈴木宗男先生が 根回しに根回しをし やっと漕ぎ着けた ロシアとの直接交渉 北方領土 四島は無理でも 先ずは二島からと『歯舞諸島色丹島』二島返還を模索していました。 そして 正式な返還交渉が出来る段階で あの 辻元清美が 『疑惑の総合商社』と国会で叫び 鈴木さんは失脚… 結果、長年の北海道の希望、日本の希望『北方領土返還』が棚上げになってしまいました。

私は 辻元清美の国民に向けての点数稼ぎ的な まさに自分しか見てない あの言動は 今でも許せません。ロシア側も9割近く返還に傾き 後 一歩のところでした。私は 当時 Googleアースで 歯舞諸島色丹島を調べました。 街らしいものは無く ロシアも返還の準備は完了していたようでした。全て あの辻元清美の一言で 崩壊しました。

それが 2002年の話です。

そして 総理がロシアで『北方領土返還』の交渉に…が当時とは事情が違います。 ロシアは高度な交渉力で 『北方領土』はなかったとする新たな主張を日本側に持ち込み それを 受け入れれば 歯舞諸島色丹島の二島は返還するという交渉に持ち込もうとしています。


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もし 総理が外交成果のみを重視して ロシア側の言い分を了承すれば 戦後からの日本の今までの苦労が水の泡になります。 外交に強い安倍総理と云われていましたが 今までの結果は散々で 殆どか失敗しています。

ここでは 安倍総理の最後の踏ん張りを期待しています。

ちなみに 私の先祖の墓は『樺太・サハリン』にあります。父は 樺太生まれです。そんな父の心情が 幼い私を署名するよう促したのかも知れません。 その時の 父の優しい顔が 今でも忘れられません。一生 忘れない父の笑顔です。