もふもふ大好き 怪盗仏陀

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北海道は古代から「黄金の島」だった。

北海道は古代から『黄金島』だった〰‼

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江戸時代初期から アイヌの総人口を上回る金堀り和人が北海道へ入り込んでいました。その後 金堀りの渡航は禁止されたものの 明治時代に入るとふたたび多数の金堀りが入り込みました。


今までアイヌは金の価値がわからない そもそも その採取方法もわからないと思われていました。
しかし 近年の研究により 奥州藤原氏の一団が12世紀に北海道の日高へ移住していた可能性や10世紀に和人の修験者が入り込んでいた可能性が指摘されてます。

その事実は全て 北海道の金に関わるものであって アイヌの歴史は北海道で産出される金と大きな関係があったのでは?と云われています。

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北海道の遠軽出身の友人は『アイヌと和人のシャクシャインの戦いでアイヌが勝利した』と 昨日のことのように自慢をします。彼はアイヌでは無いのですが 地元人の自慢話として『シャクシャインの戦い』を語ります。



シャクシャインの戦い』は1669年のアイヌと和人の戦いを云います。そもそもは日高のアイヌ集団間の長年にわたる紛争が原因でしたが そこには商場知行制【蝦夷地は米が採れないため 松前藩はその一定の地域でアイヌと交易をする権利を知行としました】の矛盾に対するアイヌ社会の不満がありました。


松前藩は調停をおこなったものの成功せず 反対に病死したアイヌ松前藩によって毒殺されたと伝えられたことにより 全島のアイヌが一斉に蜂起します。彼らは和人の商船やタカ飼い等を襲撃し 全島で300人近い和人を殺害しました。松前城下はパニックに陥ります。


この戦いにはアイヌ社会に深く入り込んだ多数の金堀り和人が関わっていました。彼らの中にはアイヌの首長の娘婿となり アイヌ社会の意思決定に関与する者もいました。しかし アイヌ社会も複雑な地域首長制で 後に松前藩に説得された首長が現れ 最終的に松前藩が勝利しました


【恐らく 友人はこの事は知らないのでしょう。まぁ 友人の名誉のため 私も知らない事にします】 松前藩は金の採掘、金山の経営を廃止すると共に 和人の金堀りの来島を禁じました。その後 北海道の産金地は明治時代まで放棄されます。

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1959年 苫小牧に近い厚真町の相馬妙見神社の敷地で一つの壺が見つかりました。その壺は12世紀代の常滑焼【愛知県常滑産】であることが明らかになり 当時のアイヌ奥州藤原氏と繋がりがあることがわかりました。


常滑焼は当時 平泉が国内最大の消費地でした。奥州藤原氏は莫大な富を持ち巨大な経済力を持っていました。それを支えていたのは陸奥から産出する砂金でした。奥州藤原氏が中国から『宋版一切経』を入手するため 金10万5000両【約1.7トン】を支払ったと伝えられていることが その産金量の多さを物語っています。

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1960年代に奥州藤原氏 金色堂の昭和の大改修で金色堂の金箔を測定すると北上山系産の金の他に北海道日高産の金が用いられていたのがわかりました。


詳細に検査すると 日高の新冠川水系アブカシャンベの砂金と同じでした。中尊寺金色堂の創建は1124年……つまり 当時から奥州藤原氏蝦夷地に入り砂金を採掘していた? またはアイヌとの交易で砂金を入手していた?……のどちらかな訳です。そもそも 『アイヌは金の価値を知らなかった』なんて事はあり得ません〰‼

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では いつ頃から アイヌは金の価値と採掘方法を知ったのでしょうか。千歳市の末広遺跡で10世紀代の修験者がもつ錫仗の金属部分が見つかり 以降 北海道各地で修験者に関わる鏡や器が出土します。


当時 紀伊半島熊野三山を信仰する熊野修験者が全国各地に散らばり熊野信仰を広げました。そして全国各地に熊野神社を建立します。東北地方の創建が古代に遡ると思われる神社は影仏を祀っており 熊野信仰が深く関わっているのは明らかです。


実は当時の砂金の採掘はもっぱら修験者の経営するところでした。例えば 源義経奥州藤原氏の元へ案内した熊野修験者 金売吉次は奥州の砂金を都で売って財を成しました。


奥州藤原氏の金生産は このような修験者のネットワークによって支えていたのでは無いでしょうか。

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その東北と深い関係をもっていたアイヌが 金をめぐる巨大な欲望と無縁でいられたわけはありません。金とアイヌは間違いなく繋がっていたはずです。ちなみに 10~11世紀の青森県八戸市林ノ前遺跡では金の精錬をおこなったルツボが出土しています。当時 東北のアイヌ文化にふいごを用いた精錬技術があった証拠です。

アイヌ先住民族かどうか? 今話題になっていますが、何で北海道に古墳があるのか? 回答に導くヒントはそこかな?

※ 感想 コメント 何でもお待ちしています〰‼


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